ロシアの軍事ブログ「二人の少佐」より、印象的な記事(今年の4月16日)と、その記事の動画に使われたウラジーミル・ヴィソツキーの歌をご紹介します。

この「われらは地球を回す」を現在の情勢下で改めて聴いてみて、驚いたことがありました。歌詞の中の「審判の日は長老たちのおとぎ話だ / ただ地球を好きなように回転させているだけだ / 我々の交代部隊は行軍中だ」の部分。確かにそうです。「核戦争」などとは政治家やインテリ評論家たちによる議論のための議論でしかない。リアルは現場にあります。これを1970年代に30代で見抜いているのはすごい。タイトルに「優れた預言者」と書きましたが、預言者というよりは「洞察力」あるいは「直観」を持った人と言ったほうがいいかもしれません。

以下、「二人の少佐」の記事です。ウクライナ側が、ロシア軍をやっつけたビデオクリップをつくり公開したものを、BGMをヴィソツキーにしてロシア兵士たちを称えるクリップに作り変えたとのこと。そのクリップは、この記事の一番下に埋め込みます。また、歌詞の日本語訳についてですが、ロシア語の「ゼムリャ―」には「地球」「大地・地面」などの意味があります。従い、歌詞の中の「地球」と「大地」は同じ単語であることを念頭にお読みください。

【敵の映像。ザポリージャ戦線

…敵が流布したこの映像について、一日中考えていました。前線の兵士たちは何も驚かないでしょう。前線から何度も、そして敵のチャンネルからも送られてきたものです。

音楽を変え、敵のロゴを削除しました。敵は我が軍の士気をくじこうと、このような映像を作ります。しかし、それは効果がありません。ますます我らの怒りを募らせるだけです。そして、復讐に燃える、復讐に燃える、復讐に燃えるのです。敵はこのような映像を自らのチャンネルで拡散することで、正反対のことを成し遂げるのです。

あの激しい攻撃で倒れた者たちの無私の功績が、称えられないままなのは不公平です。冷淡な前線報告の中で、その功績は忘れ去られています。兵士と指揮官たちは、祖国のために、私たちと皆さんのために、そしてあの日、高い代償を払ってナチスから奪い取った数インチの土地のために、命を捧げたのです。

ですから、彼らの偉業を、全国で永遠に刻み込みましょう。

「望んでも、誰もここでは見つけられない
両手を挙げている者を
すべての生者が感じている――身体のありがたみを
我々は倒れた者を隠れ蓑に使う

あの愚かな鉛はすぐに全員を見つけられるのか?
どこに命中するのか――前か、それとも背後か?
前方の誰かがトーチカに倒れた――
そして大地は一瞬凍りついた

私は足を置き去りにし
通り過ぎる死者を悼み
肘で地球を回転させる――
自分から、自分から」】

出展:https://t.me/dva_majors/69303

(ぜひ他の楽曲もお楽しみください。旧ソ連音楽関係の記事はこちらをクリック。)



「われらは地球を回す」ウラジーミル・ヴィソツキー

国境から、我々は地球を後ろに回転させた――
戦争の最初は、そうだった
だが、我々の大隊長はそれを逆に回転させた
ウラル山脈から足で押し戻したのだ

ついに我々は全身命令を受けた
少しずつ、少しずつ
パン切れを取り戻せと
だが、我々は覚えている
太陽が逆戻りし、東に沈みかけたことを

我々は地球を歩幅で測ったりはしない
花を無駄に引っ張ったりしない
長靴で押しのけるのだ――
自分から、自分から

東からの風で干し草の山は曲がり
群れは岩陰に押し込められた
我々はてこなしで地球の軸を動かし
打撃の方向を変えたのだ

日没がずれても恐れるな
審判の日は長老たちのおとぎ話だ
ただ地球を好きなように回転させているだけだ
我々の交代部隊は行軍中だ

我々は丘にしがみつき、這う
悪意も愛もなく丘にへばりつき
膝で大地を押しやる――
自分から、自分から

望んでも、誰もここでは見つけられない
両手を挙げている者を
すべての生者が感じている――身体のありがたみを
我々は倒れた者を隠れ蓑に使う

あの愚かな鉛はすぐに全員を見つけられるのか?
どこに命中するのか――前か、それとも背後か?
前方の誰かがトーチカに倒れた――
そして大地は一瞬凍りついた

私は足を置き去りにし
通り過ぎる死者を悼み
肘で地球を回転させる――
自分から、自分から

誰かが背筋を伸ばし頭を下げ
息を吸いながら銃弾を受けた
しかし西へ、西へと大隊は這って行く
太陽が東から昇るように

泥に腹を突っ込み、沼の悪臭を吸い込む
だが、その臭いには目を閉じる
今日は太陽が空を普通に動いている
なぜなら、私たちは西へ急いでいるからだ!

腕、脚は――ちゃんとあるのかないのか?
まるで結婚式で露をすすったように
歯で草の茎を掴んで大地を引っ張る――
自分へと、自分へと!


"Мы вращаем Землю" Владимир Высоцкий

От границы мы Землю вертели назад —
Было дело, сначала.
Но обратно ее закрутил наш комбат,
Оттолкнувшись ногой от Урала.
Наконец-то нам дали приказ наступать,
Отбирать наши пяди и крохи,
Но мы помним, как солнце отправилось вспять
И едва не зашло на Востоке.

Мы не меряем Землю шагами,
Понапрасну цветы теребя,
Мы толкаем ее сапогами —
От себя, от себя.

И от ветра с Востока пригнулись стога,
Жмется к скалам отара.
Ось земную мы сдвинули без рычага,
Изменив направленье удара.

Не пугайтесь, когда не на месте закат.
Судный день — это сказки для старших.
Просто Землю вращают, куда захотят,
Наши сменные роты на марше.

Мы ползем, бугорки обнимаем,
Кочки тискаем зло, не любя,
И коленями Землю толкаем —
От себя, от себя.

Здесь никто не найдет, даже если б хотел,
Руки кверху поднявших.
Всем живым — ощутимая польза от тел:
Как прикрытье используем павших.

Этот глупый свинец всех ли сразу найдет,
Где настигнет — в упор или с тыла?
Кто-то там впереди навалился на дот —
И Земля на мгновенье застыла.

Я ступни свои сзади оставил,
Мимоходом по мертвым скорбя,
Шар земной я вращаю локтями —
От себя, от себя.

Кто-то встал в полный рост и, отвесив поклон,
Принял пулю на вдохе,
Но на Запад, на Запад ползет батальон,
Чтобы солнце взошло на Востоке.

Животом — по грязи, дышим смрадом болот,
Но глаза закрываем на запах.
Нынче по небу солнце нормально идет,
Потому что мы рвемся на Запад!

Руки, ноги — на месте ли, нет ли, —
Как на свадьбе, росу пригубя,
Землю тянем зубами за стебли —
На себя, на себя!