2月9日ライブの中で「時間が無いのでブログに書きます」と飛ばしたテーマ、「USAID集中砲火に想う」を書きます。
改めて申し上げますと、私自身はUSAID側の人間であると自覚しています。「ざまぁみやがれ、地に堕ちて路頭に迷え!」とお叱りの言葉を頂戴する立場ですが、もぅ以前から地に堕ちて路頭に迷っておりまして、ダウンしたパンチドランカーがさらにボコボコに殴られながら、ぼんやりとどんな人生だったかを頭に思い浮かべている的な随想録です。
どこで間違ったのかなぁ〜
グルグルと思考が巡ります。
まず、多くの人々が貧困に喘いでいる国の生活レベルの向上のためのプログラムを支援してあげる行為は、必要だろうか?不要だろうか?
そのような国は、テロリストたちの温床になりやすい。戦うしか生きる術がない状況を改善することにより、地域が平和になる。紛争を未然に防ぐことで、日本としても余計な犠牲や出費を事前に防止することができる。国益に叶う・・・間違っていただろうか?
さらに、願わくばその国が日本に対し好意を持ってくれて、将来的に経済成長した暁には貿易の良きパートナーになってくれたら素晴らしい。それは日本の国益である・・・間違いだろうか?
「それ自体が思い上がりである」のかもしれない。ここに一つ目の分岐がある。「国際支援なんてやめちゃえ」という。
その理念は間違っていないとすれば、次に進む・・・
具体的に言えば、日本がODAを出す場合に真っ先に候補に挙がるジャンルが、医療です。病院建設や改修工事、医療機器の提供。ロシア極東で、自分が人道支援で出荷した保育器に赤ちゃんが入って、「おかげで未熟児で生まれた子供が無事に育ちます」とお礼をくれたときは、いい仕事ができてよかったと思いました・・・間違っていただろうか?
そこまでは間違っていないとして、後にその病院を通じて怪しいワクチンや薬が流通したり人体実験が行われたりすれば、明らかにダメ。米国がそんな悪いことをしているかもしれぬとは、恥ずかしながらそれを知ったのはこの数年のこと。ちなみに日本はそのようなことを意図的にやることはないと断言します。従って信用がある訳ですが、その信用は利用される可能性がある。今後は、世界の国々から警戒されても仕方がない。日本が米国の属国である限りは。
そして、もう一歩進むと「教育プロジェクト」があります。多くの子供たちが学校に行けない貧しい国での、学校建設など。我々が忘れている学べることの喜びは、ひと際大きなもの。
ところが、政治的/軍事的に対立が激しい状況下では、それが「文化侵略」と見なされてしまう。昨今では、USAIDが中央アジアで行ってきたプロジェクトに、ロシアのシンクタンクらが非常に神経を尖らせている。ちなみに日本も、悲しいことに警戒されている。日本が中央アジアに何の用だ?と。「同じアジアの同胞じゃないですか」は、平時は通用したが、現在のような状況になってしまうと微妙です。
このように見てくると、仮に日本が米国の従属国ではなく独立した国家であるとするならば、日本のODAは立派に国益に叶ってきたし、今後もそうでしょう。しかしながら、そうはいかないというのは、非常に重いテーマですので、また別の機会に別の投稿にて。

改めて申し上げますと、私自身はUSAID側の人間であると自覚しています。「ざまぁみやがれ、地に堕ちて路頭に迷え!」とお叱りの言葉を頂戴する立場ですが、もぅ以前から地に堕ちて路頭に迷っておりまして、ダウンしたパンチドランカーがさらにボコボコに殴られながら、ぼんやりとどんな人生だったかを頭に思い浮かべている的な随想録です。
どこで間違ったのかなぁ〜
グルグルと思考が巡ります。
まず、多くの人々が貧困に喘いでいる国の生活レベルの向上のためのプログラムを支援してあげる行為は、必要だろうか?不要だろうか?
そのような国は、テロリストたちの温床になりやすい。戦うしか生きる術がない状況を改善することにより、地域が平和になる。紛争を未然に防ぐことで、日本としても余計な犠牲や出費を事前に防止することができる。国益に叶う・・・間違っていただろうか?
さらに、願わくばその国が日本に対し好意を持ってくれて、将来的に経済成長した暁には貿易の良きパートナーになってくれたら素晴らしい。それは日本の国益である・・・間違いだろうか?
「それ自体が思い上がりである」のかもしれない。ここに一つ目の分岐がある。「国際支援なんてやめちゃえ」という。
その理念は間違っていないとすれば、次に進む・・・
具体的に言えば、日本がODAを出す場合に真っ先に候補に挙がるジャンルが、医療です。病院建設や改修工事、医療機器の提供。ロシア極東で、自分が人道支援で出荷した保育器に赤ちゃんが入って、「おかげで未熟児で生まれた子供が無事に育ちます」とお礼をくれたときは、いい仕事ができてよかったと思いました・・・間違っていただろうか?
そこまでは間違っていないとして、後にその病院を通じて怪しいワクチンや薬が流通したり人体実験が行われたりすれば、明らかにダメ。米国がそんな悪いことをしているかもしれぬとは、恥ずかしながらそれを知ったのはこの数年のこと。ちなみに日本はそのようなことを意図的にやることはないと断言します。従って信用がある訳ですが、その信用は利用される可能性がある。今後は、世界の国々から警戒されても仕方がない。日本が米国の属国である限りは。
そして、もう一歩進むと「教育プロジェクト」があります。多くの子供たちが学校に行けない貧しい国での、学校建設など。我々が忘れている学べることの喜びは、ひと際大きなもの。
ところが、政治的/軍事的に対立が激しい状況下では、それが「文化侵略」と見なされてしまう。昨今では、USAIDが中央アジアで行ってきたプロジェクトに、ロシアのシンクタンクらが非常に神経を尖らせている。ちなみに日本も、悲しいことに警戒されている。日本が中央アジアに何の用だ?と。「同じアジアの同胞じゃないですか」は、平時は通用したが、現在のような状況になってしまうと微妙です。
このように見てくると、仮に日本が米国の従属国ではなく独立した国家であるとするならば、日本のODAは立派に国益に叶ってきたし、今後もそうでしょう。しかしながら、そうはいかないというのは、非常に重いテーマですので、また別の機会に別の投稿にて。
