行徳に居る時間が長いので旧行徳将棋クラブの保護者のお母さんたちと出くわすのですが
「応援しています」
と言われると、危機感を覚えます。社交辞令ならよいのですが、本気で思わないでくださいというお話を。

どうも私が何かに取り組んでいると、それをやろうとがんばっているように見えてしまうらしく、後に災難となりのしかかってくる悪夢のループが付きまとって離れない。

今にして思えば市内小学生大会ができるかどうかで募金将棋活動をしていたときに、私が大会をつくろうと猛進しているような誤った認識を周囲に与えていたのかもしれない。自分の姿がどう見えているかを軽視したことを後悔しています。

「大会ほしい」が将棋好きの親子たちの答えであったという前提で事を進めていますが、コロナに限らずインフルエンザや自然災害で中止になった時にも何の文句も言わずに赤字を補填してくれるスポンサーとして想定し得るのは、子供たちが将棋をすることで直接メリットがある事業者、つまり地元の将棋教室しかあり得ません。

一方で、将棋はバーチャルと相性がいい。技術革新により、自宅に居ながらにして道場に通ったり一流の教育を受けられる時代がすぐ先に見えています。地域のお教室なんて要らなくなる。しかしながら、
「そうはいっても近くにあるなら習い事として行かせよう。歩かせたほうがよかろう」
というリアル習い事需要が少数は残るかもしれない。それがどれ程かは、予測できない。誰かがやって実験してみるしかないのです。

という訳で、今ココ。リアル習い事としての将棋がこの技術革新時代の中で成立・存続するかどうかの確認作業を実務的に淡々と行っている最中。それ以上でも以下でもないです。
成立すれば続けるし、
「やっぱバーチャルにみんな流れたね」
というのが確認されたら、事業を畳んで大会もやめます。

これを正しく理解してくれないと人生まで投げ出した上に「子供たちの夢を奪った悪党」の烙印を押される結末になってしまう。あ、ハンコ無くなるんだっけ?どうでもいいか。

趣旨としては「リアル習い事としての将棋が有意義かどうか」だけを考えてください。そう考える人が大会をバックアップする事業者を食べさせてくれるくらい存在するのかを調べる調査員的な役割を原がいま淡々と進めているところです。