日本将棋連盟から先日、感謝状を先日いただきました。普及指導員10年ということですね。色んな時期やその世代の子供たちのことを思い出しました。

感謝状


10年前は子供の課外活動として将棋というものが世の中に認知されておらず、大会に出てもらうのも苦労しました。保護者の方々も公民館でボランティアの人がやっているというから行かせているものの、休日に「大会」があるなんて言われてもよく解らない。
そんな訳で当初は「子供さんだけで結構ですので」とお願いし私が引率して20名とか連れて行っていた。一人でも電車に乗り遅れると大変なので、肩に色付きのテープを貼ったりして。同じ色で5人とか、人数を数えやすくするため。さすがにテーブルマーク杯(当時はJT杯)だけは「すみませんが帰りだけは極力お迎えに来ていただけますようどうかご協力を」とお願いして。次第に保護者の方も会場へ足を運んでくれるようになり、価値を認めていただけるようになってゆきました。

行徳将棋クラブの長所として、地域コミュニティー形成があります。プロ棋士や優秀な指導者が居る教室は、その環境を求めて広域から人が集まってきます。集まった人々により良き関係が形成されるとして、それは「首都圏の東側」や「千葉県の西側」などかなり広域での地域コミュニティー。行徳将棋クラブの場合は互いに歩きとかチャリ圏内のいわゆる一つの村とか隣村くらいの狭い範囲なのが特徴。

「狭い」ということにこれからの時代に価値があるだろうか? と、この年末に静かに考えています。
価値があるかないかは私に答えが出せるものではないのですが。あくまで個人の考え方でしかなく、価値あると考える個人がどれだけ行徳に存在するか。
しいて言えば、高齢者部門ならまだしばらくは価値があるという人が多そうな気がします。何か楽しみがあり、その場へ体を動かして行き人とコミュニケーションするというのは精神的にも身体的にも健康によいだろう。

なぜこのタイミングで考える必要があるかといえば。

冒頭に書いたような時代に家族的に行徳で将棋を楽しんでくれた生徒たちが、卒業後にすこぶる優秀なこと。学業もですが、将棋も。
学生大会での優勝や入賞という個人での活躍もさることながら、特筆すべきことがあります。県や都の中学・高校上位レベルの棋力も持ち、しかも部活の運営でとても優れた実績を積んできている生徒たちの存在。渋幕中高の活躍が華々しいですが、他の中学高校でも将棋同好会の活動をテコ入れして部に昇格させるなど苦労して実績を築いています。

彼らに小学生の指導を頼むことがあるのですが、指導対局が上手い。後進の育成を熱心にやってきた経験が身についています。そして来春あたりから、ようやく彼らが大学生になる(なってくれよ・笑)という状況が存在します。アルバイト講師を頼みやすくなる。
「中学と高校で君たちが苦労してやってきたことを、地元の小学生にしてあげてくれないか」というお願いをしやすい状況が、この先5年くらい存在します。

このリソースを活かすことをするかどうか。それをこのタイミングで考えています。

地元で育った学生たちが地元の子供たちに還元するという循環。それに価値があるだろうか? 心情的には「ある」と出て来てしまいそうですが、先日「バーチャルとリアルの接近」という記事を書きました。わざわざ雨の日に傘をさして濡れて歩かなくても、日本中の優秀な棋士から教わることができる。そんな時代がすぐそこに来ている。「地域コミュニティー」という概念は防災や防犯といったジャンルでは重要性を維持するが趣味の世界では意味が薄れてゆくかもしれない。

テクノロジーの発展がさほどない前提なら、上記のような循環が50年くらい続いてシニアから小学生までがつながっている将棋のコミュニティーがこの地に醸成されたら、それはスゴイ価値でしょうね(笑)。それは確かだと思います。