突拍子なく映るかもしれませんが、本件は私の感覚の中では政治介入による民族紛争と少数民族弾圧に似ています。違う民族違う宗教の人々が何のわだかまりもなく平和に暮らしている。そこへあるとき大きな政治的な力が働き、人々が引き裂かれてゆく。

「食」は生きる上で根源にあるものなので、子供の命を守る意識でシビアに気を使っているお母さんたちがいらっしゃいます(お父さんもいらっしゃるでしょうが、私が設けているグループはみなさんお母さん)。為政者たちに問いたい。なぜこんなことに巻き込むのだ!?と。

千葉県の給食は千産千消が主軸。それを前提にバランスがとれてきた状況を、市川市は親子たちへ事前の相談なしに打ち砕きました。何が生じたかといえば、日々の手間や精神的なストレスもさることながら、状況がいかに暗転しているかを「論拠を持って」説明しないといけなくなっている。
「よいではないですか。正々堂々と意見を述べたら」
なんて、簡単に言えない。それが何を意味するか。

地元の政界や産業界をゼンブ敵に回すことになりかねないということです。

先の投稿で述べた論理。
「一度は高いレベルの放射能が降り注いだ土地のものは検査して安全と言われても避ける」
という理屈なら
「千葉にも降ってるじゃないか」
ということになる。千葉北部には文科省の汚染地図によれば相当にセシウムが降っています。
「千葉の農産物にもケチをつける気ですか?そんなことを言って、市川の梨や他市の特産品まで嫌疑をかけられるようになったらどうしてくれるのか?」

千葉県セシウム134137


そうですよ。そこまで気を使っているお母さんたちは実は、千葉の農産物も慎重に見ているんです。でも県全体としては福島よりきれいな場所がずっと多いから、黙って家庭の食卓でバランスとって工夫しながらやってきた。こんな暴政がなければ言わずに済んだ話。

そして、国策との関連性・一貫性。

原発事故後の放射能汚染に関する政策において「行政が安全を市民に押し付けることはできないのだ」という先例を、市川のお母さんたちは勝ち取らないといけない状況に陥っています。学校給食に関することではありますが、その論理自体は国や東電からすれば実に都合が悪いこと。
「放射能の数値や国の定める基準を行政が市民に伝えるのはいい。しかしそれを聞いて最終判断する選択権はあくまで国民・市民にある」
そんな理屈を通してしまえば、農業や漁業の売り上げ減による賠償や避難者への補償はいつまでたっても終わらない。

それに本件が進められたのは、千葉6区の渡辺博道衆議院議員が第4次安倍内閣で復興大臣を務めた時期でした。もしこれが千葉に君臨するトップ政治家の「業績」ということになっているならば、それをひっくり返しに行くというのがどういうことか。

最期にですが、お母さんたちにとってはそんな政治の大きな話よりもとにかく、子供の体づくりと健康のことが気になる。それだけだろうと思います。