一昨日の行徳駅前は19時半頃までやり、丁度家に帰り一息ついた20時過ぎに激しい雷雨となりました。昨日の妙典駅前も「あれが来たら降るかもね〜」と西の空に広がる濃い雲を気にしながら始めましたが、結局降られることなく出来ました。

8月28日終了時点で、募金の合計は55,451円となっています。
細かい点ですがお伝えしておきますと、市への申請がどこも削られることなく認められ約11万7千円がおりますので、募金の部分は予算の上では10万円ではなく8万3千円が実施可能ラインとなっています。実際にどうなるかやってみないとワカラナイのですが。

行徳駅前


さて、Hara Blogの役割。たぶんそう思ってる人いるけど言えないことを言う。昨日の記事の続きで、昔は放っておいても人々がそうしたようなことをしなくなっているテーマ。趣味の活動編。

趣味のサークルをつくり継続運営してくれる人が、年々減少しています。

根拠があるのか?と言われるかもしれませんので例えば、市川市公民館運営審議会の会議録などご参照ください。リンク資料の5ページくらいからですね。「地域支援活動を目指す人材の育成」「ボランティア」の養成が課題になっていることがわかります。7ページ、昭和57年に公民館に数校のPTA関係者を集め研修会を開いたところ地域の課題への関心が深まり地域参加が進んだ成功例が紹介されています。その周辺を読むと、公民館は学校とのつながりを持ちたい様子。PTAにはやる気ある保護者が居て、その人たちを巻き込めば公民館活動が活性化するのではという期待があるように見受けられます。巻き込まれてくれるお父さんお母さんたちも減っているでしょうけど。

まさにここら辺が昨日から述べているポイントです。昭和の小学生保護者と今とは違う。昭和の連中って、身を捨てて人の為に尽くした偉人の伝記とか幼少期に読んで感動して、それを心に刻んだりしてましたよね。なので課題に触れるきっかけをつくる機会さえ与えてあげたら、行動してくれる人がわりと出てきたでしょう。今はちがうじゃないですか。20年くらい前の小学生がどんなだったか。もうビデオも普及して、忙しい大人たちは子供がおとなしくしてくれたら楽だからレンタル屋でなんでもかんでも借りてきて見せてた。子供は色んな価値を並立に学んで大人になり、自分に合うライフスタイルをみなさん賢く選択している。そんな世代を対象に「地域活動を目指す人材の育成」って、やっていること矛盾しません?

個を社会のために投げ出すのではなく、個のために社会があるような図式に誘導してきた。それは悪いことではない。弱きものを守り、檻の中の冷遇者を解き放つために必要だったことでしょう。しかし、しわ寄せがきた部分がある。それに対しては、時代が歩んできた方向性で解決策を考えないとおかしい。

経済的メリットやスマートな消費活動を優先してきましたよね。文化活動をする人々を「ご趣味ですか?へぇ〜結構なことですね」と、あたかもお金を稼ぐ人でなければ大したことないような言い方でさげすんできたじゃないですか。ならば今、それをやってくれる人が減って困っているなら、その方向性で提案してあげなければいけない。

例えばですが、現在は公民館では営利活動ができないようになっています。営利活動も出来るようにしてあげたらどうですかね?
驚きますか? でも、起業家支援はするんですよね。起業のジャンルが、ITとかなら市は支援してくれるんですか。文化部門がダメな理由は何なのでしょうか?
不正のリスク?はい、あるでしょう。しかし完璧な制度はない。何かを解決すれば必ず何か問題が起きる。方向性が時代に合っているかが重要。経済的メリットを得られるか、コストパフォーマンスよく受益者側に回れることを良しとしてきた。その延長線上で政策を進めてあげないと人は動かない。

おっと、ご心配なく。将棋の公民館教室は今後もお金とりません(笑)

また、語弊を招くので補足しますと、もちろん社会のために利益なく尽くすことを生き方として選択している若い人々も居るでしょう。ただかなりしっかりと目標を持ち活動のフィールドを設定していて、手を広げられない可能性が高いと思います。