「音楽のある街の企画はどうなって行くの?」という話をしておきますと、まずは兎にも角にも行徳駅前広場などを柏のように「ルールを守れば簡単な申請で市民が利用できる」ようにする必要があります。現在は微妙な感じで許可してくれてはいるものの、いつダメになってもおかしくない不安定な状態。やっていいんだというのを市に決めさせないといけない。
条例の制定が必要になるので、どこかの時点では市議さんたちと相談するステップを踏むことになる。だが、しかし、音楽を愛する人々は政治利用されることを嫌うはずなので、たぶん原はもみくちゃになるんでしょう。少し具体的に踏み込みますと、その条例に取り組む代わりに選挙協力や票のとりまとめといった要求が来るでしょうね。それを仲間たちに伝え、
「原はおかしくなった」
「原は権力に魂を売ろうとしている」
と私がボコボコにされる場面へ向かい着実に進んでいます。

色んな段階でボコボコにされそうで、前途多難。

その2。現在の出演者って、皆で都合を合わせた日にあの場で合法的に演奏できるという、ある意味特権を得ている訳です。それで、重い器材の準備から周辺商店へのご挨拶からビラ配りから片付けまで、ビックリするくらいがんばってくれています。感謝。でも、公の規則が出来ると他のみなさんと同じように申請することになり、自分たちが都合のよい日に中々とれないとかなってくるかも。「原が市にブン投げちゃったからこんなことになって。苦労した甲斐がないや」

その3。運営の問題も出てきます。「市民のため」というのは「演奏する人」だけでなく「そこに集う人」のためを考えるべき。地域コミュニティー再生プランなので。演奏者の自己満足に終わるのではなく、集まった人に楽しんでもらえるか。そうすると、ある程度プロデュース感覚を持ち市民演奏家たちとの人脈のある人があちこちに当たりつつ、コンスタントに一定レベルを保つための骨組みとなるシフトを組んであげないと場は枯れるでしょう。結局、制度を活かすも殺すも人。そういう人を起用できないなら「原の野郎が大騒ぎするから制度つくってやったが、市民のためになってないじゃないか」は、あり得る展開。

ま、差し当たり数か月はそんなこともないでしょうから、まずはとにかく楽しくやりたいと思います。

つい先ほど、イオンシネマ市川妙典で「グレイテスト・ショーマン」を見てきました。印象に残ったのはやはり、ショーのチラシを配ったりポスター貼りをしている場面。やっぱこれだよなと感じました。やらんといかんですね。