今年は送られてくる郵便物や書類関係などまるっきり放置状態でした。録りためた将棋番組など見ながらずーっと整理するも、一向に終わらず。

あきらめて支部ニュースに掲載されているアマチュア主要大会の棋譜を盤に並べだしたらいつしか没頭し、気づけば深夜だったり。やはり将棋おもしろいですね。
大ブームだし。普通に将棋の勉強して教室をやっていれば、とてもよい年だったのだろう。

なんでこんなことになっているか、将棋というテーマにおいて私的おさらい。

このブームは、過去幾度かのフィーバーと同様、いずれ終焉する。そしてこれまでは、世間で熱が冷めても金にならない道場や教室を辛抱して支えてきた昭和世代の馬鹿たちが居た。しかし彼らも次第に消えてゆく。

風がないときも、脈々と将棋が日本人の暮らしの中にあるために。故米長邦雄日本将棋連盟会長のときに、文部科学大臣杯という小中学生の団体戦が創設された。将棋を何とかして全国的に学校教育に取り入れてもらいたいと。しかし、うまくはいっていない。中国のほうが進んでいる。中国では主要教科以外のいわゆる「選択科目」は各学校の校長がかなり裁量の権限を持っていて、将棋を取り入れてくれている学校が次第に増えているという。日本の制度下では難しい。つまり、制度を変えるということに対して関わる以外になく、それは政治に関わるということ。つまり、将棋界の人々・・・ひたすら技術を磨くことに専念してきた心清き人々には馴染まない仕事。

私は、「教育」より「医療福祉」と将棋を結びつけるほうが現実的と考えています。当ブログで何度も取り上げましたが、認知症予防および進行を止めることに効果あることがデータ化されているし医師も認め勧めている。既にマージャンは「健康マージャン」を推進している自治体があります。マージャンはほんの数年前まで、オヤジたちがたむろしモクモクと煙草の煙が充満する怪しげな雀荘で行われている賭博的なイメージのものだった。それが自治体が関わる運営のものが出来て変わった。将棋も同じようにできる。社会に必要とされ、これだけブームになっているのにそうならないのはなぜか? 将棋界に政治的な動きができる人が居ないからです。

将棋だけでなく、楽器や歌でも、絵画でも武道でも体操でも、できると思います。
いっぽう自治体の活動はどうなっているかというと、様々なジャンルの先生やインストラクターを呼んできて期間限定の講座などやる訳です。終了後にアンケートをとると「とてもよかった。またやってほしい」という反応が多数を占め、いかにも「やりました」的な形になる。
そうではない。生涯を通じて、市民が、継続的に参加できるようなコミュニティーを、各ジャンルでつくってゆく必要がある。そして間違いなのは、公民館サークルがそれであるという錯覚。

公民館サークルは、好きな人・気が合う人同士が集まってやっている。高齢化社会の中で、脳や身体の健康を保つことをテーマとし、それが損なわれつつある人も選り好みせず広範囲に受け入れ、ひとりひとり丁寧に接してあげるというのは、相当に高度なコミュニティー運営能力が必要になります。ボランティアにブン投げてやってるフリできるような代物ではない。
行政の、積極的かかわりが必要です。ハコの管理、一流に触れる機会の提供、講座の実施・・・それは必要だし有意義なことだが、核ではない。

暮行く2017年と市川市長選の中で、そんなことを考えています。