9月4日(日)は、風に立つライオン将棋教室終了後、本八幡の市川文化会館に向かいました。第8回いちかわ市民ミュージカル「夏の光2016〜空に消えた馬へ〜」を観劇。感激(笑)。
2階の最前列の席に座りました。文化会館はこのあたりが舞台全体がよく見えて好きです。
導入部が終わり緞帳が上がると早速大人数のシーン。いつもの年より人数少な目らしく(それでも大迫力)、GSCの3名見つけやすかった。生き生きとがんばっています。
今回は初めて少し台詞もあるとのことだったので、楽しみにしていました。心躍ったのは、少年時代の主人公に恋心を抱く女の子が頬を赤くするシーン。「えーっ、なんでーっ?」と下から顔を覗き込む友人役をGSGが演じたのですが、すっげえムカつく嫌な女炸裂。「おしゃっ、決まったっ!」とガッツポーズ。世の中ナナメに見ているようなアンニュイな雰囲気を持つ子ですが、持ち味が存分に発揮されました。快感。(ほめてますんで。最大級にほめてます)
間違いあったらスイマセン・・・あるきっかけで市川に住む年老いた男が、孫嫁とひ孫とともに、約70年前の終戦近い時期の市川にタイムスリップします。少年時代の自分とともにそこに居たのは、家で家族のようにして飼われていた「あさかぜ」でした。ある日、あさかぜは軍馬として国にとられてゆきます。「兵隊さんがきっと大事にしてくれるよ」そう思い送り出したのですが、実は違いました。当時日本軍の兵隊が悩まされていた病気を治療するためのワクチンをつくるために、馬という馬が集められていたのです。病原菌を投与し、2か月ほどで全ての血を抜き、抗毒血清をつくるという計画。馬は死んでしまいますが、1頭で4000人の兵士が助かる。馬の死骸が散乱する現場であさかぜを必死でさがし、見つけて泣き崩れる少年の自分。これが戦争なんだということを、伝え続けなければならなかったはずの自分はしかし、戦後口を閉ざしてしまった。「あさかぜを救うことができなかった」・・・こんなのおかしいじやいかと言えなかった自分。日本全体が狂っていたといえばそれまでだが、大した抵抗をしなかったのは、同意したということ。もしかすると、日本を救うためには仕方がないんだと納得しようとした自分もあったかもしれない。そんな自分があさかぜを殺した。家族を殺した。辛すぎる過去と自責を思い出さぬよう、何十年、黙り込んだのだった。
重たいシーンが続きますが、最後にはタイムスリップが解けた現代に舞台は戻り、明るい3世代家族の会話と市川動植物園のシーンで幕が降ります。動物たちのミュージカルダンスは圧巻。楽しかったです。
2006年に一度上演された作品とのこと。9.11テロがありイラク戦争があり、日本が米国の戦争にどう関わるべきか議論が行われていた時期でした。当時のキャストは約300名とのことで今回の倍。この倍の人数がステージに立っていたというのはちょっと想像がつかないですが、さぞ壮観だったことでしょう。風化を防ぐためにも再演は意味のあることです。人数は絞られましたが、かえってよかった点もあっただろうと思います。
考えてみると、小中学生の出演者たちに関しては、いちかわ市民ミュージカルは「ゆとり世代」が支えた一面もあったでしょう。完全週5日制が開始されたのが平成14年でした。現在ゆとり見直しが議論されており、週6日制へのゆりもどしがあるかどうか、注目されます。
ゆとり教育制度の本来の目的は元々、こうした芸術活動に触れるあるいは参加することにより心を豊かにすることでした。ところが学力低下や多くの子が空いた時間にゲーム機に没頭するなど、問題点も指摘されるようになりました。(異論はあるでしょう。子供たちのゲーム消費量が増えたおかげで今や日本のゲームのクオリティは世界一。かつてバカにされた漫画も今や誰もが認める日本文化)
低所得層の多くの親は、「土曜日も学校があったほうがありがたい」と言います。親がゆとりを持てないと、子供にだけ時間を与えてもうまくゆかなかったのかもしれません。
参考まで、毎月参加している「囲碁将棋オセロ教室」のようなコミュニティークラブ活動も、市川市としてのゆとり教育政策の一環でした。
また、市川赤レンガ倉庫の保存を市民グループが訴えていますが、その意味もこの作品でよくわかりました。かつて軍の練兵場があり、そして千葉県の血清研究所として使われてきた施設。市川における戦争を語り継いでゆくためのモニュメントとして、この貴重な戦争遺跡が必要ということですね。
市民グループは劇場としての再利用を希望しているようです。「赤レンガ」というと、有名アーティストのライブ等もよく行われている横浜の赤レンガ倉庫がパッと頭に浮かびます。あれの市川版ができたらステキだろうなぁとは思いますが、何しろ現在は雨漏りをどうするかというレベルなので。まずは建物自体の保存ですね。何度でも言いますが、う〜ん、クリーンセンター余熱の2億円、もったいない。(赤レンガは県の管理下ではあるのですが)
ミュージカルの話に戻りますが、これだけの舞台が一般市民のボランティアによって制作されているというのは、驚きというほかありません。
1階席は埋まっていたのかもしれませんが、2階はかなり空席が目立ちました。人手が少ない中でじゅうぶんな告知活動もできなかったことでしょう。また、プレス発表して新聞もかなり手伝ってくれてはいるようなのですが(例えばこちら)、私の感覚では「見たことがない」ものに対してそれくらいで人は動かないんですよねぇ。千葉出身のがんばっているスポーツ選手や芸術家が日々新聞の地域欄で紹介されますが、「よし、この人の試合を、発表を見に行こう」なんて、めったに思わない。その中のひとつとして紹介されても、「舞台をがんばってる市川市民が居るんだなぁ」くらい。
一方内容はといえば毎回市川の歴史そのもので郷土史の学習として素晴らしく、これは普通のスポーツや芸術とは別格扱いにして市民・特に子供たちに広く見てもらうようにすべきだと思います。具体的には、小学校の芸術鑑賞会で学校行事として生徒を連れて行くとか。文化会館から徒歩圏内の大和田・鶴指・平田・稲荷木小あたりだけでも。曜日とか代休とか、いろいろ問題はあると思いますが。
最後に、私の想像にすぎず失礼だったら申し訳ないのですが、「いい年こいても舞台が好きで、普通の人生をハズれ貧乏生活を送りながら役者にしがみついている」ような中高年が昨日の舞台に立っていらっしゃったとしたら・・・
名もなきフォークシンガーよりエールを送ります。お互いがんばりましょう。
2階の最前列の席に座りました。文化会館はこのあたりが舞台全体がよく見えて好きです。
導入部が終わり緞帳が上がると早速大人数のシーン。いつもの年より人数少な目らしく(それでも大迫力)、GSCの3名見つけやすかった。生き生きとがんばっています。
今回は初めて少し台詞もあるとのことだったので、楽しみにしていました。心躍ったのは、少年時代の主人公に恋心を抱く女の子が頬を赤くするシーン。「えーっ、なんでーっ?」と下から顔を覗き込む友人役をGSGが演じたのですが、すっげえムカつく嫌な女炸裂。「おしゃっ、決まったっ!」とガッツポーズ。世の中ナナメに見ているようなアンニュイな雰囲気を持つ子ですが、持ち味が存分に発揮されました。快感。(ほめてますんで。最大級にほめてます)
間違いあったらスイマセン・・・あるきっかけで市川に住む年老いた男が、孫嫁とひ孫とともに、約70年前の終戦近い時期の市川にタイムスリップします。少年時代の自分とともにそこに居たのは、家で家族のようにして飼われていた「あさかぜ」でした。ある日、あさかぜは軍馬として国にとられてゆきます。「兵隊さんがきっと大事にしてくれるよ」そう思い送り出したのですが、実は違いました。当時日本軍の兵隊が悩まされていた病気を治療するためのワクチンをつくるために、馬という馬が集められていたのです。病原菌を投与し、2か月ほどで全ての血を抜き、抗毒血清をつくるという計画。馬は死んでしまいますが、1頭で4000人の兵士が助かる。馬の死骸が散乱する現場であさかぜを必死でさがし、見つけて泣き崩れる少年の自分。これが戦争なんだということを、伝え続けなければならなかったはずの自分はしかし、戦後口を閉ざしてしまった。「あさかぜを救うことができなかった」・・・こんなのおかしいじやいかと言えなかった自分。日本全体が狂っていたといえばそれまでだが、大した抵抗をしなかったのは、同意したということ。もしかすると、日本を救うためには仕方がないんだと納得しようとした自分もあったかもしれない。そんな自分があさかぜを殺した。家族を殺した。辛すぎる過去と自責を思い出さぬよう、何十年、黙り込んだのだった。
重たいシーンが続きますが、最後にはタイムスリップが解けた現代に舞台は戻り、明るい3世代家族の会話と市川動植物園のシーンで幕が降ります。動物たちのミュージカルダンスは圧巻。楽しかったです。
2006年に一度上演された作品とのこと。9.11テロがありイラク戦争があり、日本が米国の戦争にどう関わるべきか議論が行われていた時期でした。当時のキャストは約300名とのことで今回の倍。この倍の人数がステージに立っていたというのはちょっと想像がつかないですが、さぞ壮観だったことでしょう。風化を防ぐためにも再演は意味のあることです。人数は絞られましたが、かえってよかった点もあっただろうと思います。
考えてみると、小中学生の出演者たちに関しては、いちかわ市民ミュージカルは「ゆとり世代」が支えた一面もあったでしょう。完全週5日制が開始されたのが平成14年でした。現在ゆとり見直しが議論されており、週6日制へのゆりもどしがあるかどうか、注目されます。
ゆとり教育制度の本来の目的は元々、こうした芸術活動に触れるあるいは参加することにより心を豊かにすることでした。ところが学力低下や多くの子が空いた時間にゲーム機に没頭するなど、問題点も指摘されるようになりました。(異論はあるでしょう。子供たちのゲーム消費量が増えたおかげで今や日本のゲームのクオリティは世界一。かつてバカにされた漫画も今や誰もが認める日本文化)
低所得層の多くの親は、「土曜日も学校があったほうがありがたい」と言います。親がゆとりを持てないと、子供にだけ時間を与えてもうまくゆかなかったのかもしれません。
参考まで、毎月参加している「囲碁将棋オセロ教室」のようなコミュニティークラブ活動も、市川市としてのゆとり教育政策の一環でした。
また、市川赤レンガ倉庫の保存を市民グループが訴えていますが、その意味もこの作品でよくわかりました。かつて軍の練兵場があり、そして千葉県の血清研究所として使われてきた施設。市川における戦争を語り継いでゆくためのモニュメントとして、この貴重な戦争遺跡が必要ということですね。
市民グループは劇場としての再利用を希望しているようです。「赤レンガ」というと、有名アーティストのライブ等もよく行われている横浜の赤レンガ倉庫がパッと頭に浮かびます。あれの市川版ができたらステキだろうなぁとは思いますが、何しろ現在は雨漏りをどうするかというレベルなので。まずは建物自体の保存ですね。何度でも言いますが、う〜ん、クリーンセンター余熱の2億円、もったいない。(赤レンガは県の管理下ではあるのですが)
ミュージカルの話に戻りますが、これだけの舞台が一般市民のボランティアによって制作されているというのは、驚きというほかありません。
1階席は埋まっていたのかもしれませんが、2階はかなり空席が目立ちました。人手が少ない中でじゅうぶんな告知活動もできなかったことでしょう。また、プレス発表して新聞もかなり手伝ってくれてはいるようなのですが(例えばこちら)、私の感覚では「見たことがない」ものに対してそれくらいで人は動かないんですよねぇ。千葉出身のがんばっているスポーツ選手や芸術家が日々新聞の地域欄で紹介されますが、「よし、この人の試合を、発表を見に行こう」なんて、めったに思わない。その中のひとつとして紹介されても、「舞台をがんばってる市川市民が居るんだなぁ」くらい。
一方内容はといえば毎回市川の歴史そのもので郷土史の学習として素晴らしく、これは普通のスポーツや芸術とは別格扱いにして市民・特に子供たちに広く見てもらうようにすべきだと思います。具体的には、小学校の芸術鑑賞会で学校行事として生徒を連れて行くとか。文化会館から徒歩圏内の大和田・鶴指・平田・稲荷木小あたりだけでも。曜日とか代休とか、いろいろ問題はあると思いますが。
最後に、私の想像にすぎず失礼だったら申し訳ないのですが、「いい年こいても舞台が好きで、普通の人生をハズれ貧乏生活を送りながら役者にしがみついている」ような中高年が昨日の舞台に立っていらっしゃったとしたら・・・
名もなきフォークシンガーよりエールを送ります。お互いがんばりましょう。