マイセンで週間ポストを読んでいたら、「羽生がコンピューターに負ける日」というタイトルの記事が目に留まりました。作家の大崎善生さん著。
週刊誌の記事なので衝撃的なタイトルにしないといけないのかもしれないですが、内容は必ずしも辛いものではなく、羽生三冠のコンピューター観についてのことなども書かれてあります。一部、引用させていただきます:

『羽生善治三冠。
おそらくコンピューターの将棋が強くなればなるほど心の底から嬉しくなる唯一の棋士である。
羽生にとっては強化しつつあるコンピューターは戦う相手ではなく将棋の真理を解明していくまたとない相棒なのである。だからいくらでも強くなってもらいたい。』

このとらえ方はいいなぁと思います。

多くのメディアは「コンピューターが人類を超えるのか」というテーマでスリリングさを演出しており、世間の人々もそれに同化されつつある。タイトルホルダーの登場をけしかけるような流れに持って行こうとしているように見えて、好ましくないです。

もちろん将棋ファンはタイトルホルダーが登場すれば楽しみでしょうが、例えば
「将棋の解明をしてゆく上でのパートナーとしてコンピューターソフトの発展を将棋界は歓迎しており、その進捗度を確認する目的で、模範試合として電王戦を行っている」
というようような意義付けにしてくれないかなぁと思います。商業的価値は下がるかもしれませんが。