週刊朝日の表紙に泉谷しげるさんと浦沢直樹さんのボブ・ディラン対談の見出しを見つけ、もしやと手にとって中を見たら・・・やはり。GSGはるみパパさんのコーナーですね。楽しく読ませていただきました。
ボブ・ディラン、現在来日中ですね。71歳とは思えぬパワーでツアーを敢行しています。
これはスルーできないので(笑)、私も何か書きます。
対談で話題になっていた、音楽雑誌「ローリング・ストーン」誌の「グレイテスト・ソング500」で第1位に選ばれた『ライク・ア・ローリング・ストーン』。
泉谷さんは「他人の悪口を言っているだけ」なんて、言ってますね(笑)。
これを時代を超えた名曲たらしめているのは、この曲がおさめられれいるアルバムの存在も大きいと思います。それは、ロック史上最高峰に挙げられる名盤『追憶のハイウェイ61』(1965年)。
『ライク・ア・ローリング・ストーン』がオープニングを飾りますが、アルバムのエンディング曲『廃墟の街』がコアのファンを唸らせる、示唆に富んだ名曲。歌詞は10番まであり、次から次へと謎めいた風景が描かれ、キーワード「廃墟の街」で括られます。
冒頭、1番の歌詞。ハラ流の解釈で(以下すべて)わかりやすく意訳します:
『首吊りの絵はがきを売る奴ら
パスポートを茶色に塗る奴ら
美容院は水夫で溢れている
街にはサーカスの連中
盲目の総督がやって来たが
奴らに恍惚に落とされた
片手は綱渡り芸人とつながれ
片手は自分のパンツの中
機動隊は落ち着かない
どこへ行ったらいいのか
婦人と私は今宵 それを見ている
廃墟の街から 』
危険なゲームの中で、判断力を失った指導者に行き場をゆだねられた人々の様子を、「私」は「廃墟の街」から見ています。
続いて2番:
『シンデレラは尻軽女
「人を知るには人が必要ね」と笑い
ベティ・デイビスのように両手を後ろのポケットに入れる
ロメオがやってきて愚痴をこぼす
「僕だけの君だと思っていたのに」
誰かが言う「オマエのくるところじゃねぇ。行っちまいな」
そして救急車が立ち去った後に残るのは
シンデレラが掃いている音だけ
廃墟の街を 』
この「廃墟の街」とは何なのか・・・半世紀にわたり多くの評論家たちが説いたことでしょう。この機会をお借りしまして(笑)、ハラも果敢に読み解いてみたいと思います。
5番は、聴き手の時間感覚を狂わせる:
『アインシュタインはロビンフッドに変装し
記憶をトランクに詰め込んでいる
嫉妬深い修道僧の友人といっしょに
この道を1時間前に過ぎていった
タバコをたかるときに
まったくもって恐ろしく見えた
そして彼は立ち去った
排水管のにおいをかぎながら
アルファベットを唱えながら
そんな彼を見たいとは思わないだろうけど
彼はずっと昔、電子バイオリン弾きで有名だったんだ
廃墟の街で 』
ひゃ〜、カンベンしてぇ〜!
電子バイオリン弾きは・・・明快な理論を説くことが出来る人のたとえでしょうか。そんなアインシュタインが、血相を変えて自分の過去を封印しなければならないようになってしまったということか・・・
彼が立ち去ることになった廃墟の街って何だろう?
おっ、8番にヒントらしきものが:
『真夜中になり エージェントと超人たちの一団がやってきた
自分たちがすることを見抜いている人々すべてを狩り
工場送りにして心臓を打撃する機械を肩から装着する
保険会社の連中は灯油を城から運び出す
彼らは見張っている 誰も逃げ出さないように
廃墟の街へと 』
保険会社が行かれちゃ困る場所といえば、「死後の世界」?なんて短絡的な答えではないはずなんだけど、だんだん近づいてきたかな。
まてよ、スパイと超人たちが「やってきた」のは、どこなのか。それは、「廃墟の街」じゃないかな。つまり、超人(無垢の人々を操ろうとする者らしい)とその代理人によって捕まった人々(超人の正体を知っている)は、廃墟の街にいたのでしょう。
10番、エンディング:
『昨日、君からの手紙を受け取ったよ
そのときにドアノブが壊れちゃった
いかがお過ごし?なんて君は聞いて
何か冗談のつもりかい
君が言うすべての人々のことを
私は知っているさ 彼らはとても不自由だ
彼らの顔を並べ替えなくては
そして彼らすべてに別の名前を与えなくては
忙しくてよく読めやしないから
もういっさい私に手紙は出さないでくれ
ただしあそこから出すのなら別だけど
廃墟の街から 』
重要なブロックですね。
「私」は、「彼ら」を誰かからわからなくするための作業に追われています。そして、忙しくて君にかまってられないと。ただし、「廃墟の街からの話なら相手をするよ」と言っています。「彼ら」というのも、きっと「廃墟の街」の人々なのではないかと思います。
これらから導き出されるのは、
たとえば戦争が終わり焼け野原となって、はじめてあの戦争が何だったかよく見えるように・・・
たとえばバブルがはじけて宴の後となって、はじめてあの景気が何だったかよく見えるように・・・
たとえば死の淵にたち余命わずかとなって、はじめて本当に大切なことが何かよく見えるように・・・
雑念や欲望、環境、教え込まれたもの、そういった自分を縛るものすべてが取り払われた「無」の境地・・・そこは物事がとてもよく見える立ち位置。つまり為政者たちにとり都合の悪い場所、「廃墟の街」。
『ライク・ア・ローリング・ストーン』は、高い地位に居る人間を引きずり下ろしてコケにする歌。痛快で大衆にわかりやすいですが、確かに泉谷さんの言うように、これ単体では詞の内容は薄い。サウンドとか(と一言では言えないんだけど)、尺とか(当時5分超えはありえねー)、色んな意味で革命的であったという歴史的意味において「なんとかの戦い」的なポジションを得ている楽曲ではあるのだが。
『追憶のハイウェイ61』の中で・・・つまりそれまでのディランの軌跡の中では、『ライク・ア・ローリング・ストーン』は「為政者の好きにはさせないよ。世の中のカラクリを暴いてゆくよ」という彼の立ち位置を明確にした華々しいオープニング曲。
そして『廃墟の街』こそが、そんな『ライク・ア・ローリング・ストーン』に深みを与える重要な楽曲です。
なんちゃって。
私の知る限り、上記のような説を展開した学者や音楽評論家は居ません。私の勝手な思い込みですので、たぶん違うでしょう(笑)。長文に最後までお付き合いいただいた方にはスイマセン。少しでもオモシロかったなら幸いです。
ボブ・ディラン、現在来日中ですね。71歳とは思えぬパワーでツアーを敢行しています。
これはスルーできないので(笑)、私も何か書きます。
対談で話題になっていた、音楽雑誌「ローリング・ストーン」誌の「グレイテスト・ソング500」で第1位に選ばれた『ライク・ア・ローリング・ストーン』。
泉谷さんは「他人の悪口を言っているだけ」なんて、言ってますね(笑)。
これを時代を超えた名曲たらしめているのは、この曲がおさめられれいるアルバムの存在も大きいと思います。それは、ロック史上最高峰に挙げられる名盤『追憶のハイウェイ61』(1965年)。
『ライク・ア・ローリング・ストーン』がオープニングを飾りますが、アルバムのエンディング曲『廃墟の街』がコアのファンを唸らせる、示唆に富んだ名曲。歌詞は10番まであり、次から次へと謎めいた風景が描かれ、キーワード「廃墟の街」で括られます。
冒頭、1番の歌詞。ハラ流の解釈で(以下すべて)わかりやすく意訳します:
『首吊りの絵はがきを売る奴ら
パスポートを茶色に塗る奴ら
美容院は水夫で溢れている
街にはサーカスの連中
盲目の総督がやって来たが
奴らに恍惚に落とされた
片手は綱渡り芸人とつながれ
片手は自分のパンツの中
機動隊は落ち着かない
どこへ行ったらいいのか
婦人と私は今宵 それを見ている
廃墟の街から 』
危険なゲームの中で、判断力を失った指導者に行き場をゆだねられた人々の様子を、「私」は「廃墟の街」から見ています。
続いて2番:
『シンデレラは尻軽女
「人を知るには人が必要ね」と笑い
ベティ・デイビスのように両手を後ろのポケットに入れる
ロメオがやってきて愚痴をこぼす
「僕だけの君だと思っていたのに」
誰かが言う「オマエのくるところじゃねぇ。行っちまいな」
そして救急車が立ち去った後に残るのは
シンデレラが掃いている音だけ
廃墟の街を 』
この「廃墟の街」とは何なのか・・・半世紀にわたり多くの評論家たちが説いたことでしょう。この機会をお借りしまして(笑)、ハラも果敢に読み解いてみたいと思います。
5番は、聴き手の時間感覚を狂わせる:
『アインシュタインはロビンフッドに変装し
記憶をトランクに詰め込んでいる
嫉妬深い修道僧の友人といっしょに
この道を1時間前に過ぎていった
タバコをたかるときに
まったくもって恐ろしく見えた
そして彼は立ち去った
排水管のにおいをかぎながら
アルファベットを唱えながら
そんな彼を見たいとは思わないだろうけど
彼はずっと昔、電子バイオリン弾きで有名だったんだ
廃墟の街で 』
ひゃ〜、カンベンしてぇ〜!
電子バイオリン弾きは・・・明快な理論を説くことが出来る人のたとえでしょうか。そんなアインシュタインが、血相を変えて自分の過去を封印しなければならないようになってしまったということか・・・
彼が立ち去ることになった廃墟の街って何だろう?
おっ、8番にヒントらしきものが:
『真夜中になり エージェントと超人たちの一団がやってきた
自分たちがすることを見抜いている人々すべてを狩り
工場送りにして心臓を打撃する機械を肩から装着する
保険会社の連中は灯油を城から運び出す
彼らは見張っている 誰も逃げ出さないように
廃墟の街へと 』
保険会社が行かれちゃ困る場所といえば、「死後の世界」?なんて短絡的な答えではないはずなんだけど、だんだん近づいてきたかな。
まてよ、スパイと超人たちが「やってきた」のは、どこなのか。それは、「廃墟の街」じゃないかな。つまり、超人(無垢の人々を操ろうとする者らしい)とその代理人によって捕まった人々(超人の正体を知っている)は、廃墟の街にいたのでしょう。
10番、エンディング:
『昨日、君からの手紙を受け取ったよ
そのときにドアノブが壊れちゃった
いかがお過ごし?なんて君は聞いて
何か冗談のつもりかい
君が言うすべての人々のことを
私は知っているさ 彼らはとても不自由だ
彼らの顔を並べ替えなくては
そして彼らすべてに別の名前を与えなくては
忙しくてよく読めやしないから
もういっさい私に手紙は出さないでくれ
ただしあそこから出すのなら別だけど
廃墟の街から 』
重要なブロックですね。
「私」は、「彼ら」を誰かからわからなくするための作業に追われています。そして、忙しくて君にかまってられないと。ただし、「廃墟の街からの話なら相手をするよ」と言っています。「彼ら」というのも、きっと「廃墟の街」の人々なのではないかと思います。
これらから導き出されるのは、
たとえば戦争が終わり焼け野原となって、はじめてあの戦争が何だったかよく見えるように・・・
たとえばバブルがはじけて宴の後となって、はじめてあの景気が何だったかよく見えるように・・・
たとえば死の淵にたち余命わずかとなって、はじめて本当に大切なことが何かよく見えるように・・・
雑念や欲望、環境、教え込まれたもの、そういった自分を縛るものすべてが取り払われた「無」の境地・・・そこは物事がとてもよく見える立ち位置。つまり為政者たちにとり都合の悪い場所、「廃墟の街」。
『ライク・ア・ローリング・ストーン』は、高い地位に居る人間を引きずり下ろしてコケにする歌。痛快で大衆にわかりやすいですが、確かに泉谷さんの言うように、これ単体では詞の内容は薄い。サウンドとか(と一言では言えないんだけど)、尺とか(当時5分超えはありえねー)、色んな意味で革命的であったという歴史的意味において「なんとかの戦い」的なポジションを得ている楽曲ではあるのだが。
『追憶のハイウェイ61』の中で・・・つまりそれまでのディランの軌跡の中では、『ライク・ア・ローリング・ストーン』は「為政者の好きにはさせないよ。世の中のカラクリを暴いてゆくよ」という彼の立ち位置を明確にした華々しいオープニング曲。
そして『廃墟の街』こそが、そんな『ライク・ア・ローリング・ストーン』に深みを与える重要な楽曲です。
なんちゃって。
私の知る限り、上記のような説を展開した学者や音楽評論家は居ません。私の勝手な思い込みですので、たぶん違うでしょう(笑)。長文に最後までお付き合いいただいた方にはスイマセン。少しでもオモシロかったなら幸いです。