Hara Blog

千葉県市川市の行徳で弾き語り活動を行っている、フォークシンガー原の日記です。公認将棋指導員として、子供たちの将棋の話題なども。

コメント欄の運用について。様々な経緯から、次のようにさせていただいています: ブログ主およびコメント投稿者含め、互いの意見に対する反論や、ネガティブなニュアンスを感じさせるとブログ主が判断したものは、削除します。続く人はブロックし、解除しません。何卒ご了承ください。

2018年02月

2月24日(土)将棋教室の風景

2月24日(土)午前、行徳公民館第2和室にて行徳将棋クラブ活動。

七中、行徳小、南行徳小、新浜小、南新浜小、福栄小、妙典小、幸小、富美浜小、鬼高小、大柏小、海神南小、葛飾小、南篠崎小、鎌田小、などから27名。

教室風景


このところは、お父さんたちに助けられています。強い子と指すのも初心者を教えるのも大変ですよね。お休みのところスイマセン。キツイ場合は「頼まれると嫌と言えない」など心配せず言ってください。また、将棋は指さなくても自分の子だけでも騒ぎ始めた時に注意してくださるのも、とても助かります。今日「名札をつけさせたら」というアイデアをいただいたのですが、案外いいかもしれませんね。ほかの子も見てくださると助かります。

敗者復活戦へ再び

(「早すぎて、乗り遅れる」からのつづき)

このような駄文にお付き合いいただき、ありがとうございます。そろそろこのシリーズをまとめます。

なぜこの話を始めたかといえば、将棋の負担を増やすことが簡単ではないということをご理解いただくためでした。ここまでご紹介したような活動を私はやってきた人間であり、ここ数年小休止の状態にあったものの、それを終えたわけではありません。もし万策尽きたと悟ったなら、都会へ出てきた目的を失う訳ですから、同じ音楽や将棋を趣味で続けるにしても、九州の田舎へ帰り年老いた母の面倒を見ながらというのが道理でしょう。

将棋は基本的に、ひとりの保護者としての活動の延長。息子が将棋を始めて私も再開して、行徳に将棋教室がなかったので同好会をつくった。息子は卒業したのですが、その間、将棋に触れてくれた子たちがすこぶる優秀な若者に育ってゆくのを見てきました。感情に流されず冷静に最善の選択を模索し判断する習慣がつく。たぶん将棋を幼少期に学ぶことは相当いいです。行徳に1つ、子供たちが集まる同好会があるべきと考え、時間を限定して続けています。

選挙ボランティアへの参加も一連の活動とは別のものですが、とても勉強になりました。何より、政策を掲げ候補者を有権者に浸透させる作業と、コンセプトを打ち出し牽引役のアーティストを紹介してゆく作業と、同じではないだろうかという仮説に辿り着いた。無所属候補を担いで選挙戦を戦うくらいの勢いで臨んでみてもいい。これまでに経験してきたような反応・軋轢をうまく調整・緩和しつつ、選挙で得たノウハウを駆使して目標へ向かうべき時が来ていると自覚しています。

将棋大会については、その後もボランティア・NPO支援課と打ち合わせを行っており、書類の作成を進めています。実施可能な状況にはしておいて、今年半ばくらいにかけ結論を出してゆきたいと考えます。何卒ご理解のほど、よろしくお願いいたします。

(終)

二コ神さん逝く

俳優の大杉漣さんが亡くなられたとのこと。
心よりご冥福をお祈りいたします。
DVDを見ながら、弔い酒。

酔鯨


将棋ファンにとり、大杉漣さんといえばドラマ「ハチワンダイバー」の二コ神さん。河原にテントを張って暮らす、ホームレスの将棋指し。

二コ神さん


主人公の菅田をテントでシゴくデスマッチのシーンが印象的です。
何年か前、行徳将棋クラブがやる気ある子たちで熱気を帯びていた時期があり、希望者だけ週一で特訓を行ったことがありました。戦型を決めて、「この戦型なら原先生に勝てる」という得意技をつくってもらう。その日ひとつの筋について、原先生に勝つまで帰さない。翌週はまた別の変化。それは、実は二コ神さんが菅田を鍛えた「デスマッチ」がモデルでした。
失敗もあり、学ばせていただきました。このスタイルが良かった子も居ます。が、逆に将棋から離れてしまった子もありました。保護者の方々とも。保護者が求めたのに私が「この子は無理してはいけない」としたこともあれば、私は大丈夫と思ったのだけれどダメだったことも。

デスマッチ


現金収入がなく魚を釣ってそれを主食にしているという設定も大好きでした。仕事なくなって家族からも捨てられたら江戸川にテント張ってこれやりたいとマジで思う。みなさん、よろしく(笑)。

食料調達

2月24日(土)将棋教室の確認

2月24日(土)将棋教室の確認です。

行徳公民館第2和室にて、10−12時に活動行います。

今後の予定:

2月24日(土):10-12時 行徳公民館第2和室

3月 3日(土):10-12時 行徳公民館第2和室
3月10日(土):10-12時 行徳公民館第2和室
3月17日(土):9:30-11:30 七中にて行われる「囲碁・将棋・オセロ教室」に参加
3月24日(土):10-12時 行徳公民館第2和室
3月31日(土):10-12時 行徳公民館第2和室

※上記すべて無料です。

早すぎて、乗り遅れる

(「暗礁」からのつづき)

動画配信に戻ります。

2009年だったと記憶しているのですが、YouTubeとJASRAC(日本著作権協会)が契約を結び、JASRAC管理曲をカバー演奏なら自由に配信できるようになりました。テレビの歌番組等の映像を流すのはダメ。あくまでカバー演奏。ですが、画期的な出来事でした。
このタイミングで、入ってこないとダメなんです(苦笑)。ダメだなぁ原。なまじ動画サイトなんてものを運営していたために、乗り遅れました。

最も成功しているのが、Goosehouseでしょうね。2010年頃から、とにかくカバー曲の動画をつくってアップしまくった。ヒット曲を検索すると彼らの映像が引っかかるようにする訳です。シンプルですが、いい作戦でした。どんどんファンがついていった。何人かで楽しく演奏するのがコツですね。「この中に自分も入りたいっ」と参加意識を喚起するような動画。
2年遅れでサンデーサティーズを立ち上げたのが2011年暮れ(全員行徳在住)。パフォーマンス力は、手前みそですが遜色ないと自負しています。同じ楽曲(WINDING ROAD)のGoosehouse(上)とサンデーサティーズ(下)を並べてみます。下のほうがいいという人が一定割合、居てもおかしくないと思う。
Goosehouse

Sundaysaty's


難しかったのは、まず第一に信用力。Goosehouseのメンバーは元々はSony Walkmanのプロモーション企画の下に集められたんですね。Sonyの看板がありますので、これを一所懸命やれば何とかなるんじゃないかという期待を持ったでしょう。若いメンバーが、遮二無二これを生活の中心にしてがんばったはず。そして、成果がついてきた。
いっぽうサンデーサティーズは、原(笑)。原が「キミたちの力ならこれ(カバー動画をひたすら配信して検索からのトラフィックをつくる)でファンを獲得できるはず」と言ってるだけ。どれほど効果があるものなのか、当時はよく理解してもらえなかったことでしょう。でも、とにかくやってみようと付き合ってくれた若者たちに心から感謝しています。

メンバーたちが20代中盤から後半に差し掛かり、それぞれの職場で責任ある立場になっていったことも進行を難しくしました。また、彼らには自分自身のソロ活動もありますので。あと2年早く仕掛けていれば。痛恨の極みです。
その後時代はどう流れたかといえば、今や「ユーチューバー」が若者のなりたい職業の上位に来るほどとなり、Goosehouseモデルは新規参入者にとっては障壁の高いものとなっています。今から同じモデルで勝ち抜けるのは、もはや難しい。

ただサンデーサティーズの強みはあって、それは「ゆず」のコアのファンたちからの絶大なる信頼。道を歩いていて「あっサンデーサティーズの」と声を掛けられるんですから相当なもの。バーチャルではない、リアルファンがついている。「ゆず村」から外に出てゆけるかどうかですね。復活戦を挑む選択肢は、可能性としては十分あります。

尚、サンデーサティーズを売ることそのものが目的ではなく、地域的な音楽の盛り上がりをつくってゆくため、それをけん引できる強いキャラが欲しかったということです。活動の趣旨がズレたのかと思われるかもしれませんので、念のため。

(つづく)

暗礁

(「同じ過ちを繰り返す」からのつづき)

さて、話を戻します。ライブハウスなんてとこに来る人って、よほどコアのインディーズファンか出演者の知り合い。それだけでは広がりがないので、アーティストたちを地域の祭りイベントや普通の居酒屋・喫茶店などに連れ出すことをやりました。
何だかこれも、政治でやってることと似ています。政治マニアだけでなく、普通に暮らしている人たちにも政治に目を向けてほしい。政治と言うとみな引いてしまうのですが、巷の井戸端会議で話されているような日常生活の不満って、政治そのもの。それはフォークソングと親和性が高い。フォークの中に、様々な社会問題が詰まっている。政治と思わなくていいし、政治活動などと無縁でかまわない。日常にそういう場があって、楽しみながら少し、考えてくれたらいい。

いいんじゃないの?と思うでしょ(苦笑)
いやぁ、これがタイヘンなんです。参りました。

まず、場を提供してくれる地域イベントやお店の責任者からすると、
「みんなが知ってる曲をやってくれよ」
となりますよね。来てくれるお客さんたちが一緒に口ずさんで楽しんでくれるようなものを、演ってほしい。スタッフたちも奉仕精神でがんばっている訳なので、同じ立場で協力してくれる前提で場を提供する。
ところがアーティストたちは、自作の歌を歌いたがります。自分を伝えたい。逆に押し付けに負けないことが大事なんだという発想しかしない。そして、数は少なくともファンが居ますので、ファンたちもそんなアーティスト根性を支持する。上手ですので、演ればその場では拍手が起きる。よかったですよーとおだてられ、どうだやったぜと得意気ですが、後で私が怒られる。で、次はない。
これが本当にショックなんです。私だって自分で曲を作っていて、それらに愛着もある。それはそれで横に置いて、まずは地ならしをしようじゃないかとお願いしている訳です。「オレだってキミたちと同じ人種なんだ。気持ちは痛いくらいワカるどころか君たちの側。それを役割分担でこの役をやってる訳なんで、何とか頼むよ」と。しかしたいがいは、そんなメンドクサイならと自分の居心地の良い場所に帰ってゆきます。
余談ですが、私にイチバン協力してくれてワカリやすいヒット曲だけ演ってくれたのが、フォークシンガー原なんですよね。

それから、事業者の方々からのプレッシャー。
東京の東側から市川にかけても、ライブハウスや音楽教室がたくさんあります。市川市やケーブルテレビ市川などが主催する大きな音楽イベントがあって、それに向けてそれぞれの出演者や生徒さんたちが一所懸命練習するような図式なら、まぁいいんです。ところが私がやってることって、安上がりな演奏機会を提供しますよってことに他ならないんですよね。彼らにとっては。そりゃ、警戒します。出演者や客が流れちゃいけない。警戒どころか、面と向かって敵意をむき出しにしてくる。攻撃は最大の防御とばかりに、私のイベントに現れては次々と出演者に唾つけて回る。自然な形で交流が生まれるなら大歓迎ですが、そのようなものではない。わかりますよ。彼らはそれで食っている。原なんて能天気な小僧に商売を荒らさせてたまるかと。こちらは揉めるつもりはないので、アーティストさんに「ご出演されているお店のほうが快く思わないようなので、今後の出演はちょっと様子を見ましょう」と言うのですが、アーティストさんたちにとり私の企画は普段と違う層に聴いてもらえる良い機会。「あちらのお店とは他に出ちゃイケナイなんて契約になっていない。原さんの企画もやりたい」となる。スゴク悩ましい。

暗礁に乗り上げました。ゼンブやめてしまうと新しく何かやろうとしても何の手がかりもなくなってしまうので、規模縮小して喫茶店ライブとイオンの路上ライブだけを小さく細くやってゆくことにして。とりあえず続けることを目的に続ける形で落ち着かせたのでした。

(つづく)

同じ過ちを繰り返す

(「大河に浮かぶ小舟」からの続き)

いったん本題を離れます。

日記を書くとよいと昔はよく言われましたが、そうですね。書きながら、自分が同じ失敗を繰り返していることが解ってきます。

ソ連が崩壊して自由経済となり、市場がどうなっていくか誰にもわからないような時ですから、先に突っ込んで消耗する立場よりは、後から出てゆくほうを選択するのがいい。三井三菱といったところでないなら、商社に入るよりは大手メーカーのほうがよかったのでしょう。主観ではなく客観的に見てですが。
動画配信も同じでした。技術的に動画再生がどこに集約されていくのか、動画撮影や投稿のシステムがどうなってゆくのか全く見えない訳ですから、技術力を持っているか大きな投資ができる立場でないなら、何もしないのがいい。ひとりのおっさんフォークシンガーとして、歌い歩いて交友を広げておくくらいでよかった。
こんなことを言うと一緒に戦ってくれた仕事仲間やバンドの連中に申し訳ないですね。主観ではないんです。いい仕事やライブもあった。「あれはよかった」と思ってくれる人が居てその価値が確かなら、それでいい。そのように生きてきました。問題は、これからも同じでゆくのか。

例えば一連の選挙ボランティアへの参加にしても。原は政党には所属しないと繰り返しブログでも述べていまして、小池塾には参加しましたが都民ファーストの会へは入党しませんでした。それでおしまい。自分が決めている生き方通り。
ところが、熱心な塾の仲間たちを差し置いて籍だけ置いていたような現職元職の議員さんたちに公認や推薦が出ることが身の周りで起きたらたぶん怒る(笑)。で、あれば、残っとかないとイケナイ。非力な一党員としてでも、おかしいじゃないかと内側からプレッシャーをかけるべき。どこまでもまとわりつくイヤラシイ男にならないとダメ。
音楽業界でアーティストとして採用される背景と、政治家の公認推薦と、似たところがあります。すごい音楽や歌の才能が認められて事務所やレコード会社がつく子も居る。それは確か。ですが、多くは何らかの形で人間関係のつながりがある。なので私は、自分が縁のあった子たちを何とかしたいと思うなら、そしてそれが目標に近づくため必要と信ずるなら、カメラはそこそこにして別の動きをしなければならなかった。政治家の公認推薦もそうですね。新人でも誰もが認める実力をもって指名される人も少数居ますが基本、政界のネットワークの中に居ないといけない。

所属なしを貫くことで何を守ろうとしているかといえば、明らかに音楽や将棋で行っている地域活動ですね。自民党さんも共産党さんも、どなたでもお越しください。楽しくやりましょうと言える場を守る。であれば「それをどうしてゆくの?」。今まで通りなら、ゼンブ原の趣味の範囲で終わる。それで悪くはない。地域同好会の主催者のひとりとして小さくやってゆきます。そう言い切って、グダグダ言うのをやめる。そうするかどうかというところなのでしょう。

大河に浮かぶ小舟

(「ローカルメディア」からのつづき)

2つの柱がありまして、ひとつはサイト上でアマチュアバンドの活動を紹介する。色んなライブハウスで活躍しているアーティストたちの紹介。もうひとつは、現場的な盛り上がり。象徴的なイベントを設置する。

サイトについては、「ローカル」のエリアをどこに設定したらよいかでまず悩みました。首都圏なのか市川なのか行徳なのか。ただ、市川限定でたくさんのアーティストさんと知り合うのは難しい(現在ならそんなことはありませんが)と考え、広域でやりました。
2003年から2005年くらいにかけては、カメラを持って夜な夜な都内のライブハウスを渡り歩いたものです。今のようにスマホで誰でも動画を撮れる時代ではなく、ビデオカメラを持っている必要がありました。また、撮ってもそれを編集しサイトに掲載するのは、誰もが簡単にできることではなかった。

20061118-50妙典まつり


そうしているうちに動画撮影のバーも下がり自主投稿のサイトがどんどんできてくる訳ですが、私もどこかでそのように移行することを考えていた。あるいは、撮影したものを何らかのメディアで送ってもらってその編集・アップに注力する形。次々に新しいコンテンツをアップしていかないと、視聴者は飽きる。
ところがアーティストの皆さん、私のサイトへの最大の評価ポイントは、原自身が撮影して魅力的な文章を添えて紹介してくれることだったんですよね。それが嬉しかった。彼らも私ひとりでバタバタしているのを知っていて「原さん、ボクら必ず売れてみせます。そしたら原さんのおかげだって言いますから」と。実際、いいバンド幾つもありました。テレビに何回か出るくらいまではいくのですが、大きい事務所が拾ってくれる話には中々ならない。
慕ってくれた当時の若者たちには、感謝しています。元気にしているだろうか。どんな形でもいいから音楽をやっていてほしいです。

最終的にはYouTubeやニコ動の成熟もあり、私の役目は終わったと判断しました。もっと上手にアーティストが自主的にセルフプロモーションに利用できるプラットフォームをつくり技術的に勝負する方法もあったでしょう。しかしそれは、私がやることではない。

振り返ると、長江のような大河で手漕ぎボートをシャカシャカやっている自分が居ます。

(つづく)

2月17日(土)の風景 〜囲碁ボランティア求む〜

2月17日(土)は、七中ブロックコミュニティークラブ「囲碁・将棋・オセロ教室」に参加しました。

将棋トーナメントは13名。6年生たちが新入学準備で居なくなり、少し寂しいですが後輩のみなさんがんばりましょう。

教室風景


お知らせがありまして、実は囲碁を担当してくださっている方が4月から都合で来られなくなるとのことで、子供たちと囲碁を指してくださる方を探しています。月一回、8月を除く毎月第3土曜日の9時半から11時半まで、ボランティアで来ていただける方はいらっしゃいませんでしょうか。当ブログのメッセージフォームからご連絡いただけたら大変ありがたいです。どうぞよろしくお願いします。

囲碁

ドリームマッチは10時30分から

朝日オープンの羽生善治竜王ー藤井聡太五段対局は10時30分からですね。以下サイトで棋譜中継されるようです。
将棋クラブの皆さんもトーナメントがんばりましょう!




ニコ動会員登録している方はこちらでも。




ローカルメディア

(「ソ連崩壊後のビジネスの現場」からのつづき)

旧ソ連地域との交易に従事されている皆様に、敬意を表します。極東地域の安定に大きく貢献されている。私も伴に歩めたらよかったのですが、自身のポジショニングがうまくゆきませんでした。現在は、海上貨物保険の引受業務で細々と生計を立てており、ほんの少し間接的にそれら国々との輸送をサポートさせていただいている立場です。

短いモスクワ在住期間中に、モスクワ内戦を経験しました。大統領と議長、二人の権力者による権力闘争。機関銃の乾いた音が悪魔の声のように響き、若い兵士たちの命が失われてゆく。「お前ら、二人でやれ」と感じたものの、権力者=利権の代表者であります。自分ではコントロールできないこともある。特に負ける側には。その後も、ガスパイプラインルートが絡む南部地域での紛争なども。大国の都合で小国の平和が荒らされ、そこに「人道支援」の名の下に日本企業の商売が生まれる葛藤がありました。

さて、業界を去り国内に仕事と生活の場を限定し、暫くして構想を描き行動を始めたのが、インターネットを利用したローカルメディアが出来ないかなということでした。2003年頃のこと。当時、時代の空気として、インターネットによりメディア革命が起きる期待が膨らんでいた(これも、今や兵どもが夢の跡ですが)。
コンテンツとして選んだのが、ロックやフォークのアマチュアたちの演奏。直接に「戦争とは」「平和について考えよう」みたいなことでは、抵抗が大きい。対象が限定される。もっと普通に暮らしている人に響くもの。普段は意識のない人も、時々はニュースを見て「これでいいのだろうか」と一瞬考えるはず。その程度でいい。例えば1時間のライブをすれば、ほとんどが日常的な内容の歌なのだけど1曲だけ「今も世界のどこかで戦争が起こっています」と一言添えてジョン・レノンの曲を演るとか。それ位で十分、上等。

その頃の自分に「5年でこう変わる。10年するとこうなってる」と色々教えてあげたいです。動画再生ソフト1つとっても視聴者からの声に対応するのが大変でした。WindowsのMedia Playerをベースにすると、Macの人が見れなかった。Quick Time再生用の別のページを設けるが、環境やバージョンの違いにより「視聴できない」との声が相次ぐ。
やがてHTML5やFLASH(YouTubeやニコ動)に集約されていく。その時点での再生条件をサイトに記して、その他の環境の人はゴメンナサイにして技術の進歩を待てばいい・・・なんてワカラナイですよね(笑)。それに、音楽やアーティスト系はMacユーザーが多かったし。

そのほかにも、様々な困難に出くわすことになりました。

(つづく)

2月17日(土)将棋教室の確認 場所は七中です

2月17日(土)将棋教室の確認です。

七中にて行われる、囲碁将棋オセロ教室に参加します。
※9時30分からです。10時からトーナメントなので、参加者は10時までに来てください。
※上履き持参してください。
(いったん間違って行徳公民館とアップしてしまいました。申し訳ございません。場所は七中です。ご注意ください)

今後の予定:

2月17日(土):9:30-11:30 七中にて行われる「囲碁・将棋・オセロ教室」に参加
2月24日(土):10-12時 行徳公民館第2和室

3月 3日(土):10-12時 行徳公民館第2和室
3月10日(土):10-12時 行徳公民館第2和室
3月17日(土):9:30-11:30 七中にて行われる「囲碁・将棋・オセロ教室」に参加
3月24日(土):10-12時 行徳公民館第2和室
3月31日(土):10-12時 行徳公民館第2和室

※上記すべて無料です。

ソ連崩壊後のビジネスの現場

(「アブない左翼活動家?」からのつづき)

1990年就職ですが、そのすぐ後に就職氷河期が訪れました。

職場はどのような状況であったかというと、後輩が入ってこない訳です。いちばん下のまま。
時を同じくして、事務機革命が起きていました。テレックスやタイプライターから、パソコンメールやワープロの時代へ。年齢が上の世代はついて行けません。勢い「原くん、これ打っといて」と上司たちの手書きの文書がバサバサと私の机に積まれました。自分の担当業務はほかにあり、それだけでも相当なボリューム。その上に雑務が来るので、日々終電に近い状態で会社の床で寝ることもしばしば。お手洗いで裸になって体を拭いていたら警備員さんに見つかったことがあります。「スイマセン、怪しい者ではありません」たって怪しいですよね。
さらに上司たちはみな、自分の下請けとして私を使いたがった。メーカーさんとの打ち合わせなどに同席させられ「じゃこの方針で、原くん見積もり作って」と言いおいて、自分は帰る。完全にパンクしているのですが、それでも「原くん、あれどうなってる?」「まだ出来ないの?」と平気で言ってくる。「仕事量を互いに調整してください」と何度訴えてもダメ。みな上や横にはモノを言わず、下にだけ言う。

仕事の内容も、惨憺たるものが多かった。体制崩壊後に有象無象のブローカーたちが暗躍した時代で、モスクワ支店経由で正体の知れない相手からの見積もり依頼がドカドカ舞い込みました。取捨選択すべきなんですが、モスクワ店はとにかく来た引き合いにはゼンブ東京から見積もりをとるのが仕事と思っているし、東京の人たちも何だかよくわからないけどとりあえず原にやらせとくかになる。
日本製の家電製品や通信・事務機器の引き合いが多かったのですが、その類は世の中にバッタ商品が数多く出回っているんです。メーカーさんが何かの折に二束三文で在庫処分したブツが市場に流れていて、正規ルートでは価格的に勝てない。次第に解ってきますので捨てたい案件いっぱいあるんですが、捨てさせてくれない。
メーカーさんたちも、そういうの解っているんですよね。投資が必要な販売拠点や在庫をつくる案件もやりましたが、開拓者たちの屍が積まれた後にある程度市場が成熟して商売ができるようになる。よほど資本力のある商社が会社戦略として取り組む案件でなければそこまでは持たないし、そうなればメーカーは自分で進出する。

一方で、自分の目的に合うと感じられた仕事もありました。人道支援などがそれ。旧ソ連の貧しい地方の病院に医療機器を提供するプロジェクトなどが、ODAの一環として行われました。お金の出所が日本政府なので、安心です。田舎の病院の保育器の中に生まれたばかりの赤ちゃんが寝ている姿を見て、この仕事やってよかったなという気につかの間なれたものです。
問題は入札に勝つことですが、私はODA業界の異端児でした。しきたりに従わず、本当に安い価格で勝負しようとする。メーカーさんたちはどの商社にも同じ価格で出すので(それにも色々ありますが)、まともにやったら上乗せ分マージンのガマン比べにしかならない。と、思われていたのですが、機材以外の部分、大陸各地への運送費などを業者さんたちと相談して切り詰めたりして、他社のODA業界の人たちを出し抜きました。当時、物流界にも、旧ソ連地域に特徴を出して一旗揚げようというサムライたちが居たんですよね。最終的には、兵どもが夢の跡。大手しか残らなかった。みなどこかで生きているだろうか。
私の手法はしかし、次々に模倣されました。最終的には、マージンを0にして突っ込んだ入札があった。メーカーさんに「落札しました」と報告に行った際、「おめでとうございます」と言われたのですが「実は・・・」という話で。落札後に値引き交渉。いや〜な空気でしたが、それでも何パーセントか落としてくれた。それが最後。
ODAの「業界の輪」に入り、シブとく生きる道もあったかもしれません。が、これは自分でなければ出来ない仕事なのか? 日本の支援物資を困っている人々に届けること自体は意味ある仕事だけど、オレがやらなくても誰かやるだろう。それに、自分は問題あるときにハッキリ手を挙げて言うタイプだから、流れ弾に当たりやすい。

「ここまでだな」
文字通り、ハラを切る覚悟を決めたのでした。

尚、私が業界を去ったすぐ後に、鈴木宗男議員が絡む一連のロシア関連汚職問題が世で騒がれました。ムネオハウス事件が一番有名ですが、国後島発電設備の案件では同業の三井物産からも逮捕者が出ています。私より若い人が捕まっている。一生懸命に仕事をしただけだと思うのですが。

(つづく)

アブない左翼活動家?

フェイスブックやブログのヘッダーの写真のおかげで「アブナイ左翼活動家かと最初思いました」と選挙戦の最中にボランティア仲間たちから言われました。笑ってしまったのですが、間違ってはいないかもしれません。

九州の片田舎から貧しい家に無理を言って東京へ出て来るのですから、大きな目標をブチ上げる必要がありました。目標というよりは、若いエネルギーの向け先と言うほうが正しいかもしれない。掲げたのは、平和。戦争が起こらない世をつくることに貢献したい。強烈に左的な動きですね。それに人生をブッ込もうという訳ですから。大学はロシヤ語学科を選択。ぜんぜん勉強せず、ついにロシア語は使い物にならなかったけれど。

米ソ冷戦の時代で代理戦争としての紛争が世界各地で行われていましたので、日本を巡りそのようなことが起きるかもしれないという空気は強くありました。親たちは戦争世代なのでリアルにそれを感じており、子供たちにも伝わった。我々が、戦争にリアリティを感じることができた最後の世代かもしれません。

ただ、政治により平和を維持するとは思わなかった。デモや政治集会、勉強会などにも、一昨年小池塾に参加するまでは一度として足を踏み入れたことがありません。
では何によってかというと、経済関係。ソ連との経済的結びつきを強く持つ。日本に手を出したら、失うもののほうがはるかに大きい状況を維持する。それも、もっともらしい理由なんですがきっと勉強が嫌だっただけ。外交官とか新聞社とか目指す連中はすごく勉強していた。バブル後期で民間企業への就職は難しくありませんでしたので、モスクワに支店を持つ商社のひとつに入社しました。

「ノンポリ」という言葉は最近はあまり使わないですね。ポリシーが無い人をそう呼んだのですが、はい、ノンポリです。何の思想もありません。結局は、ダメ学生がバブル後期の勢いだけで民間企業に入り働き始めたというだけのことでした。

(つづく)

サンデーサティーズ

妙典祭りに毎年出演しているサンデーサティーズは、実はある方面で名の知られた存在になっています。

若いメンバーたちが20代後半から30にさし掛かりそれぞれに職場の関係などで無理ができなくなった時期に動画作成やホームページがほぼ止まってしまったのですが。企画開始時に山口くんと堀木くんが好きな「ゆず」を演奏するとわりと反応がよかったこともあり、ゆずを幾つかYouTubeに載せてありました。更新していないにも関わらず人気が出て、今や日本中のコアのゆずファンには広く知られた存在です。ギターを弾く若い子に「本物のゆずよりサンデーサティーズが自分にとってのゆず」と言われる位に。

私は手伝えていないのですが、二人はゆずの地元、横浜の応援団から熱烈ラブコールを受け、とても忙しくしています。ライブ出演もさることながら、例えば結成20周年記念の植樹祭に「ゆずの代わりにサンデーサティーズを呼びました」と紹介されて、土にスコップを入れたりとか。



活動拠点が横浜になってしまっているのが難点ですが、本来はそこまで支持を得ているのであればそれを伸ばすべきなのでしょう。ゆずを昔応援していた人たちががんばってくれているのですが、その先が中々難しい。
ここも政治でしょうね。ゆずの出身地の岡村や路上ライブで腕を磨いた伊勢佐木町の辺りをライブのメッカとして、実際すでにそうなのですがより力強く、自治体主導で広告宣伝に力を入れ外へアピールする。特定のアーティストだけ売ることはできませんが、ゆず発祥の地、弾き語り愛好家の街としてブランディングする。その中で色んなキャラが輝いてくればいい。強力にそれを推進してくれる地方政治家でも居ればよいのだけれど。

横浜のことを調べてみたのですが、地方議員さんたち伝統的な政治家のカラーですね。ちょっと無理かもしれない。カルチャー面より、現実的に解決しなければならない地域の課題を優先されるでしょう。

「せっかくここまでやったのに」ということがそこら中に散らかっている気がする今日この頃。取り組んだことの方向性はわりと正しくそこそこ芽は出るのだが、それ以上手に負えなくなりほったらかしにしてゆく人生になっている。

君が去ったホームに残り

船橋で将棋教室を長年運営されていた萱間先生が、何年か前にふらりとマイセンライブを訪ねて来てくれたことがありました。ご存知の方は想像つくと思いますが、イイ感じで酔っ払って全身で喜びを表現しつつ歌ってゆかれました。

なごり雪をリクエストくださり、みなで合唱したのをよく覚えています。
亡くなられてからもうすぐ1年。楽しい思い出を忘れません。ありがとうございました。

2月10日(土)将棋教室の風景

2月10日(土)午前、行徳公民館第2和室にて行徳将棋クラブ活動。

七中、行徳小、南行徳小、新浜小、南新浜小、福栄小、妙典小、幸小、富美浜小、入船小、葛飾小、南篠崎小、鎌田小、などから25名。

教室風景


低学年の数が増えたため、スーさんはじめ保護者のお父さんたちが入ってくれて助かっています。お時間許す日はどうかよろしくお願いします。

文化を制度に落とし込む

改めて、昨年末の子供将棋大会の募集範囲に関するアンケートにご協力いただきました皆様、どうもありがとうございました。

以下あくまで実施すると仮定して。予め、念のため。

もちろん、出来ることならなるべく広く多くの子供たちに楽しんでもらいたいのですが、その後解ってきた状況として、市民将棋大会から一部を独立させるという側面があることと、市教育委員会から後援がいただけるかもしれない。

ならばその条件を最大限に生かして、市内の学校とのつながりをつくっていくのがこの将棋ブームを地域に根差した確実なものにすることに有効。例えば、週に1度のクラブ活動の時間に将棋を含むボードゲームを取り入れている小学校はたくさんあるようなので、そういった場で大会の案内をさせていただけませんかとお願いしてみるのもいい。もちろん水泳や陸上の市内大会のように学校が直接関わる行事ではないのだけれど、教育委員会や学校に認められた行事としてブランディングできるはず。

従い参加資格としては、この大会については、やはり市川市内の小学生ということになってしまうと思います。ご期待いただきました市外の皆様、申し訳ございません。
細かく見ると、市川市在住なのだけど他市や都内の私立小学校に通っているとか、あるいは市外在住なのだけど日出学園小(私立)に通っている子が考えられます。いずれもOKでしょうね。
「市川市在住もしくは市川市の小学校に通う小学生」

ブームを流行で終わらせないためには、既存の確固たる制度と結び付けてゆく必要がある。小学生将棋なら、学校との関わり。一昨年は四中、昨年は七中の生徒たちが部活をつくろうとがんばってくれたが、叶わなかった。今度は、これでやるかどうか。

「誰がそんな手間とるの?」
というところに、結局は戻ってくるのですが。しかし逆に、それくらいやらないのであれば、何もしないほうがマシというのが私の感覚です。

2月10日(土)将棋教室の確認

2月10日(土)将棋教室の確認です。

行徳公民館第2和室にて10〜12時に活動を行います。

今後の予定:

2月10日(土):10-12時 行徳公民館第2和室
2月17日(土):9:30-11:30 七中にて行われる「囲碁・将棋・オセロ教室」に参加
2月24日(土):10-12時 行徳公民館第2和室

3月 3日(土):10-12時 行徳公民館第2和室
3月10日(土):10-12時 行徳公民館第2和室
3月17日(土):9:30-11:30 七中にて行われる「囲碁・将棋・オセロ教室」に参加
3月24日(土):10-12時 行徳公民館第2和室
3月31日(土):10-12時 行徳公民館第2和室

※上記すべて無料です。

市長選とは関係ありません

ここらで一度、念のため。市長選の応援は私が個人として行っていることで、音楽や将棋の活動とは全く関係ありません。不安や警戒お抱きになる必要はございませんので、どうぞご心配なく。
ホントはもっと「自分はこう思う。だから誰にする」とかいう議論が其処ら中で行われるくらいでないといけないと思います。なので、自分から率先して発信しています。

身の周りに抱えた具体的な問題を陳情しようという気も、ありません。市長選についてはあくまで「保育・教育」の2点への期待。
夫婦共働きでも年収500万円に満たない家庭が主流になってくるでしょうから、まずは保育ですね。何らかの形で子供をあずけられること。また、所得が低いご家庭でも子供が二人三人居ても普通にコツコツ勉強して意欲があれば無理なく大学まで行ける社会の実現。自治体単独では難しいことは理解していますが、自治体がやれる限界を既成概念にとらわれず目指してほしい。
それだけはやっておいてあげないと、国がおかしくなる。しかし国全体なんて手に負えないので、自分の住んでいるところは何とかという訳です。

尚、その市長選ですが、再開票の結果、順位に変動がないことは確認されました。現在、選管から異議申立人へ異議に関する回答(開票作業時に立会人の見えない場所へ一部の票が移されたことや他候補への票の混入など)待ちとなっています。不備があったことを選管が認め改善策が提示されるか、それに対し異議申立人が納得するかどうか。まずは選管の回答ですね。報道では4月再選挙と予測されていますが、近日中に回答が出て異議申立人が納得するものであればそうなるのではないでしょうか。

死んだ男の残したものは

喫茶マイセンがとっている新聞は、大手紙は読売と東京。ビミョ〜なバランスが何とも言えない(笑)。産経と赤旗だったらやり過ぎですけど。

マイセン

昨日の東京新聞に、フォークシンガーの小室等さんのコラムが掲載されていました。世の中は別の小室さんの話題で持ちきりですが、フォークの小室さんはまだまだがんばる。谷川俊太郎さんの詩に曲をつけた反戦歌集「プロテストソング2」を昨秋に発表されています。以下、その記事より:
「かつて町やお茶の間で、みんながプロテストした。僕らの世代は、上の世代が作り上げた体制の言う通りにならないと思っていたのに、気付くと自分たちの自由を押し入れにしまい込んで企業戦士になっていた。」

実は私の音楽に対する考え方は今は違っていて、難しい意味などなくシンプルに音を楽しめればいいと思っています。それこそが大切だと。何かメッセージがあるのなら、別の言論の形をとったほうがいい。
でも小室等さんのような大御所がプロテストのスピリットを持って一線でがんばってくれていることには尊敬しますし、そのようなシンガーが必要だとも思います。マイセンライブにも中山さんという骨のある出演者が居まして「今年のテーマは、反戦と、若者が自殺するような社会への投げかけです」と。私が置いてきたものを彼が持っているのは、私としてはありがたいこと。

プロテストソング2に入っている「死んだ男の残したものは」。ベトナム戦争の時代に作られた歌です。詞・谷川俊太郎、曲・武満徹。

「死んだ男の残したものは」

死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった

死んだ女の残したものは
しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった
着物一枚残さなかった

死んだ子どもの残したものは
ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった

死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった

死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない

死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来るあした
他には何も残っていない
他には何も残っていない

守る壁と崩す壁

昨日2月4日(日)の日記。

行徳港


天気よく風も穏やかだったので、ジョギングは海辺コース。行徳港の展望スペースまで。これをつくってくれたことは、市に感謝。お気に入りスポットです。
海を見ながら食事できるイタリアンレストランでも出来たら流行ると思うのですが、環境の問題もあり難しいでしょうね。可能性としてはそのように出来るロケーションではあります。今は、昔ながらの地味な漁港と倉庫が立ち並ぶ場所。

倉庫


出直して、年に一度の公民館サークル登録更新の申請書を届けに行徳公民館へ。将棋大会会場の可能性について相談しました。はい、やるんだったら当然、行徳に持ってきたいですね。
普段利用している3階の部屋の先、廊下の突き当りに「レクリエーションホール」という体育館のようなスペースがあります。感覚的には将棋大会を開催するのに十分で椅子とテーブルの数の確認だけかと思っていたのですが、問題が。「100名」という定員があると。実際はもっと入れるのだけど、火災等が万が一発生し逃げ遅れた親子などが居た場合、いや居なくても、賠償問題もさることながら、定員オーバーの状態で企画を実施していたら重大な責任問題になります。
100名ということは、仮に付き添いの保護者が子供と同数とすれば、参加者は50名。行徳と本八幡教室の子供たちだけでそれくらいは居るので、実質内輪の大会になってしまう。それではダメだ。
調べたら行徳文化ホールI&Iの大会議室が180名。ただ、人気スペースなので押さえるとすれば市の協力が必須。そしてたぶん「なんで行徳なんですか?」という話になるだろう。市民全員が参加しやすい中部地区にすべきと言われそう。政治力でも使わなければ難しいとなれば、そこは妥協せざるを得ないか。
定員の壁。

公民館の後は、いつもライブを行っている喫茶マイセンへ。内容についてマスターと相談。マイセンライブのフライヤーをつくり宣伝のテコ入れをする予定です。「ポスティングはお金がかかる」という既成概念の壁は、選挙の経験によって壊すことができました。自分でやればいい。音楽の連中は甘えている。政治の人たちに負けないくらいにやるべきだ。

マイセンフライヤ原稿


将棋の大会と違い、この地域ライブ活動の推進はやるべくしてやります。それをやってゆくために十年前、「将棋の活動は土曜教室に限定する」と自分の中に壁をつくりました。
地域ライブ活動が原にとり何なのかをご理解いただくには私のこれまでの歩みを説明しなければならないのですが、それはまた別途。

ひとつ壁を壊そうと思うのは、集客をマスターがお店のお客さんに声をかけてくれるのに頼ってしまい暫く努力を怠った。理由のひとつが、将棋。
ボランティアで一所懸命なにかをやってる人が居ると、その理由を世間の人々は探りますよね。選挙にでも出るんじゃないかとか、いずれ何か売りつけてくるんじゃないかとか。「あぁ、おっさんフォークの人なんだ。ライブに来てほしいんだね」と言われてしまう。やっぱりねと人は確かめたがる。あるいは、それが鬱陶しくて子供が将棋がしたいのに敬遠されるかもしれない。
その心の壁も、崩しましょう。どうぞ笑ってくださいませ。そんな気はありませんので、将棋教室へはどうか気兼ねなく。

守る壁と、崩す壁を整理中。

2月3日(土)の風景

2月3日(土)午前、行徳公民館第2和室にて行徳将棋クラブ活動。

専松高、七中、行徳小、新浜小、南新浜小、福栄小、妙典小、幸小、富美浜小、大柏小、入船小、富岡小、葛飾小、海神南小、南篠崎小、鎌田小、鹿骨東小、などから27名。

カメラも携帯も忘れて行ってしましましたので、写真の代わりに小学生大会のチラシの案を。チラシを作ると決めなければいけない項目や課題が整理されるので。実現する場合はもっと小学生が見た瞬間にワクワクするようなものにしたいですが、とりあえずは情報整理目的。

参加クラスは、AとかBとかして上下関係をつくってしまうと子供たち面白くないですよね。「上級」と言えば級位のことなのか一般的な意味での上手な人という意味なのかわからなくなるかなと(笑)。

漏れている項目やもっとこうしたらいい個所など、アドバイスいただけたらありがたいです。尚、ここまでやるのだから原はやる気だとは申し訳ないですが思わないでください。あくまで書類関係を詰めるところまで進める一環です。

市民小学生大会

行徳将棋クラブのチラシ原稿

行徳将棋クラブのチラシ原稿をつくってみました。
行徳圏内の公民館や市の施設に置いてもらう予定です。また、フライヤー印刷をここらで一度やってみようかと。最近はその機会がなかったので、1%支援制度の予算組の参考のためにも。

「この情報が足りない」
「こんなこと書いてあったらもっといいのに」
等、ご意見いただけたら嬉しいです。
「どなたでも無料です」を入れないといけないですね。主な対象年齢も。まとめて修正しようと思います。

自分の写真は正直、抵抗ないかと言えば嘘になるのですが、保護者としてはどんな人が主催しているのか気になりますよね。恥を忍んで、スーさんを道連れに(笑)。実は昨年末からスーさんと相談して進めていまして、「どうぶつ将棋インストラクター」の肩書も問題ないことご確認いただいたと伺っています。個人的にはこれがキモ。やさしい感じで、ホロッとなごみません?(笑)

「ボク・ワタシここに行っているんだよー」
とクラブの子たちが自慢できるようなものに出来たらと考えています。どうぞよろしくお願いします。

将棋クラブチラシ

1%支援制度の使い方

1%支援制度の書類、書き進めています。14ページに渡るのですが、恐らくこれでも簡素化されたのでしょうね。市民から「手間がかかり過ぎる」との声が多く、また投票制では公平性が担保されないということで、2015年9月市議会で前の制度が廃止され、審査会で採用不採用を決定する方式にリニューアルされています。
6月が提出時期なのですが、担当課の職員さんもいい企画を通したいのでしょう。「見ますので早めに原稿持ってきてください」と。

書類のほうは心配ないと思います。問題はやるかどうかだけ。「この形なら成立する」という図式をお膳立てする所までは、とりあえず進めます。

制度を利用している131団体を紹介しているカラー冊子があるのですが、平成24年度につくられたもの。つまり制度が変わる前。見ると以前のほうが補助金の用途範囲は若干広かったみたい。今は大会のメダルやカップもダメ、備品も1年以内に消耗するものしかダメ。正直そうなると、将棋の大会としてはチラシ印刷代くらいしかない。それすら寺下先生曰く「コピーは文化振興課のコピー機を使わせてくれる」とのことで、毎年みなさんが手にしているチラシがそれです。既存の将棋ファンにはあれで十分ですね。私が考えているのは、将棋を始めて間もない小学生の興味を引くようなカラー印刷のフライヤー。

ふと気づいたことが、音楽関係のほうが使い勝手がよさそう。告知もそうですが施設使用料が高いので。音響・照明の利用料なども含め。

さだまさしトリビュートコンサートを年一回開催なんてやれば、市川市にとりすごくメリットあるだろう。長崎に次ぐあるいは並ぶくらいの聖地なんですよね市川市。長崎に比べ市川ではあまりブランディングされていない。でも2015年に文化振興財団が実施した「さだまさしミュージアム」は素晴らしい企画で、全国からファンが訪れました。スポットで終わらせるのではなく、継続してイベントを打ったほうがいい。
色んなスタイルで、さだまさしさんの曲を演奏する。弾き語りだけでなく、合唱や、ピアノとバイオリンあるいはギターとフルートのアンサンブルによるインスト等々。市内のコーラスグループや音楽教室と協力して「さだまさしトリビュート実行委員会」をつくる。講演会の講師への謝礼は認められるそうなので、妹さんの佐田玲子さんをゲストに招いて市川の思い出を語ってもらいつつ何曲か歌っていただくのもいいかも。音楽教室の優秀な生徒さんたちがクオリティー高い演奏をつくってくれたら、市民にも地元再発見となり、また市外からも人を呼べる。
私はやれませんけど。時間が無い。やりたいですけどね〜

「文化は隅に追いやられて」という先日の文化振興課の職員さんの寂しい声が浮かぶ。でも、今ある制度を利用するだけでも、文化で地ブランドを形成するような力強いプロジェクトも推進出来そうです。現在利用しているのは自分たちの目的を持った市内のサークルだけれど、「市川を売る」という視点から、地ブランドを文化で育てようとする人間が居ると面白いなと思いました。

2月3日(土)将棋教室の確認

2月3日(土)将棋教室の確認です。

行徳公民館第2和室にて10〜12時に活動を行います。

今後の予定:

2月 3日(土):10-12時 行徳公民館第2和室
2月10日(土):10-12時 行徳公民館第2和室
2月17日(土):9:30-11:30 七中にて行われる「囲碁・将棋・オセロ教室」に参加
2月24日(土):10-12時 行徳公民館第2和室

3月 3日(土):10-12時 行徳公民館第2和室
3月10日(土):10-12時 行徳公民館第2和室
3月17日(土):9:30-11:30 七中にて行われる「囲碁・将棋・オセロ教室」に参加
3月24日(土):10-12時 行徳公民館第2和室
3月31日(土):10-12時 行徳公民館第2和室

※上記すべて無料です。
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千葉県市川市の行徳将棋クラブを運営している原伸一です。ブログの更新情報をお届けしてゆきます。2020年11月米大統領選より関連情報の収集・発信に注力しています。
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ハラ

フォークシンガー原
(原 伸一)

1967年生。千葉県市川市の南部、行徳・妙典でアコースティックライブの主催等の活動を行っています。また、将棋教室を開いています。

将棋教室の情報は以下サイトにて。

http://gyotoku.livedoor.biz
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