市川の同好会系の将棋事情について少し触れておきます。
市川市将棋愛好会連盟というのは、6団体から構成されています。
・市川将棋同好会(市川市男女共同参画センター)
・棋楽会(市川いこいの家)
・市川市囲碁将棋部(市役所)
・京葉ガス囲碁将棋部
・西部将棋同好会(西部公民館)
・大洲将棋同好会(市川駅南公民館)
平成4年に寺下紀子女流四段を中心に発足した市川将棋同好会が市民のための大会を企画しようとしたところ、市役所から「補助金を出すから、一団体だけでなく他の団体と協力して広く市民でやっている形をつくってくれないか」と言われ、棋楽会、市役所囲碁将棋部、京葉ガス、そして当時存在した行徳棋友会の5団体が集まり、市川市将棋愛好会連盟が設立されました。
ちなみに現在、行徳将棋クラブで使用している盤と駒は、行徳棋友会さんが残してくださったもの。10年前、行徳将棋クラブを始めるときに、公民館の職員さんが「将棋盤があった気がする」と一緒に探してくださり、倉庫の奥に埋もれていたそれを発見したときには嬉しかったものです。
昔は行徳でも相当の将棋人口があった模様。平成10年まで、市民将棋大会とは別に「行徳将棋大会」が行われていました。春に行徳大会、秋に市民大会といった形。
行徳の将棋熱をうかがい知ることができる遺産をもうひとつご紹介しますと、幸公民館には立派な脚付き将棋盤、駒台、彫り駒のセットが押し入れに10セットほど眠っており、日常全く使われずにあります。幸棋友会というのがあり、寺下先生が予算をつけて納めてくださったもの。もったいない話です。
それらの将棋同好会がどうなっているかというと、新しい人が中々入って来ません。高齢化が進んでいます。行徳棋友会や幸棋友会は、かなり前になくなってしまいました。市川市民大会の運営も、ほぼ同じ人でやっている。年々厳しくなっています。
いっぽう子供将棋に目を向けると現在、公民館系では、市川子供将棋クラブ、本八幡子供将棋教室、行徳将棋クラブの3団体があります。この3つを中心に市川子供将棋協会のようなものをつくり子供将棋を市民大会から独立させてくれたらありがたいというのが市民大会運営側の立場。
たぶん、子供将棋は必然的にメンバーが代謝し若いお父さんお母さんが次々現れますので、そこに期待されている面もあるのだろうと思います。つまり将来的には、市民大会の運営も支えることを期待されているのかもしれません。
同好会のつながりと市民大会が継続してきたのは、寺下紀子愛好会連盟会長・女流四段の存在がとても大きい。象徴としてもそうだし、実務面でも。市民大会の参加者募集業務はご自身が窓口となりやられています。手間も相当なものでしょう。寺下先生がそこまでやってくださるからこそ、みなさんがんばっている。そこが構造的な危うさでもあります。
たぶん行徳の会がことごとく消滅したのも、寺下先生のような存在がなかったことが大きいでしょうね。
構造的な危うさ。
例えば、子供大会を実行するとします。1%支援制度で経費の一部をまかなう準備を進めていますが、ボランティア・NPO支援課の職員さん曰く最低でも1年以上の活動実績が必要で、実績十分な愛好会連盟で申請するのが通りやすいと。子供将棋協会をつくっても次年度はむりで、設立し1〜2年、何か活動しないといけない。面倒。
従い、やり方としては子供将棋3団体が愛好会連盟に加入するのが早い。愛好会連盟の中に市民大会実行委員と子供大会実行委員を設け担当分けして行う。寺下先生がそれで調整してくれたとします。寺下先生が重しになってくれるうちはいい。
愛好会連盟は市民大会を運営してゆくのが年々大変になっている事情があります。「子供大会だけなんて言わず、市民大会のほうも手伝ってくださいよ」となってゆくでしょう。まして、愛好会連盟が長年にわたりそろえてくれた盤駒やチェスクロックを子供大会でも使わせてもらう訳です。
いっぽう子供大会のスタッフは「子供大会はすごくいいと思ってお手伝いしたけれど、市民大会まではちょっと」となるでしょうね。
寺下先生が頭でやってくれるうちはこのあたりの亀裂は何とか最小限でおさまってくれることが期待できるのですが、そうでなくなると、どうなるか。
「原さん考えすぎですよ。子供大会いいじゃないですか。一度やってみましょうよ」と多くの方が思うことでしょう。やればとても盛り上がり、ぜひ今後もと市民将棋ファンが沸き立つ絵が浮かびます。が、上記のような問題、そのものズバリでなくとも何かそのような事が起きるはずです。渦中の中心に居るのが私になるだろう。人に代わってもらったとしても不満自体は消えないので「アイツがなぜ出てこない」になる。
もうひとつの構造的問題は、将棋活性化に関する諸々の仕事をやるべくしてやっている人が寺下先生以外に居ない。将棋関係者やその家族、将棋を事業として行っている人、将棋イベントが商店街活性化の一環として行われていてその商店街の人とか。そのような人がおらず仕事とは関係ないボランティアばかり。みなさん「この範囲だけは奉仕しよう」と自分の役割を決めてがんばってはいるが、それだと低め安定で伸びないですね。やったらいいのにという事はたくさんあるが、過度な手間やトラブルや批判を浴びることまでひっくるめて請け負うことを必然的にやる人が居ない。
暗くなりましたので、最後にちょっとアゲて終わります(笑)。低め安定でも、市という単位での将棋が続いてきたのはたいしたものです。
多くの自治体では寺下先生のような存在がなく下火になっているのでしょう。市民大会や公民館同好会がなくなったとしても、ネットもあるし電車に乗って道場に行くこともできる。将棋を指す場は得られます。そうしてモノトーンな街になってゆく。
「文教都市・市川を再び」と市長選の候補者たちが叫んでいますが、まさにこのようなことでしょうね。昔は市民に尽くすことがリアルに経済的にメリットになった人たちがもっと多かった。今は勤め人の街になり、そうではない。ないということを前提に、文化と教育の街にするのかどうか。するにはどうすればいいかというところです。
市川市将棋愛好会連盟というのは、6団体から構成されています。
・市川将棋同好会(市川市男女共同参画センター)
・棋楽会(市川いこいの家)
・市川市囲碁将棋部(市役所)
・京葉ガス囲碁将棋部
・西部将棋同好会(西部公民館)
・大洲将棋同好会(市川駅南公民館)
平成4年に寺下紀子女流四段を中心に発足した市川将棋同好会が市民のための大会を企画しようとしたところ、市役所から「補助金を出すから、一団体だけでなく他の団体と協力して広く市民でやっている形をつくってくれないか」と言われ、棋楽会、市役所囲碁将棋部、京葉ガス、そして当時存在した行徳棋友会の5団体が集まり、市川市将棋愛好会連盟が設立されました。
ちなみに現在、行徳将棋クラブで使用している盤と駒は、行徳棋友会さんが残してくださったもの。10年前、行徳将棋クラブを始めるときに、公民館の職員さんが「将棋盤があった気がする」と一緒に探してくださり、倉庫の奥に埋もれていたそれを発見したときには嬉しかったものです。
昔は行徳でも相当の将棋人口があった模様。平成10年まで、市民将棋大会とは別に「行徳将棋大会」が行われていました。春に行徳大会、秋に市民大会といった形。
行徳の将棋熱をうかがい知ることができる遺産をもうひとつご紹介しますと、幸公民館には立派な脚付き将棋盤、駒台、彫り駒のセットが押し入れに10セットほど眠っており、日常全く使われずにあります。幸棋友会というのがあり、寺下先生が予算をつけて納めてくださったもの。もったいない話です。
それらの将棋同好会がどうなっているかというと、新しい人が中々入って来ません。高齢化が進んでいます。行徳棋友会や幸棋友会は、かなり前になくなってしまいました。市川市民大会の運営も、ほぼ同じ人でやっている。年々厳しくなっています。
いっぽう子供将棋に目を向けると現在、公民館系では、市川子供将棋クラブ、本八幡子供将棋教室、行徳将棋クラブの3団体があります。この3つを中心に市川子供将棋協会のようなものをつくり子供将棋を市民大会から独立させてくれたらありがたいというのが市民大会運営側の立場。
たぶん、子供将棋は必然的にメンバーが代謝し若いお父さんお母さんが次々現れますので、そこに期待されている面もあるのだろうと思います。つまり将来的には、市民大会の運営も支えることを期待されているのかもしれません。
同好会のつながりと市民大会が継続してきたのは、寺下紀子愛好会連盟会長・女流四段の存在がとても大きい。象徴としてもそうだし、実務面でも。市民大会の参加者募集業務はご自身が窓口となりやられています。手間も相当なものでしょう。寺下先生がそこまでやってくださるからこそ、みなさんがんばっている。そこが構造的な危うさでもあります。
たぶん行徳の会がことごとく消滅したのも、寺下先生のような存在がなかったことが大きいでしょうね。
構造的な危うさ。
例えば、子供大会を実行するとします。1%支援制度で経費の一部をまかなう準備を進めていますが、ボランティア・NPO支援課の職員さん曰く最低でも1年以上の活動実績が必要で、実績十分な愛好会連盟で申請するのが通りやすいと。子供将棋協会をつくっても次年度はむりで、設立し1〜2年、何か活動しないといけない。面倒。
従い、やり方としては子供将棋3団体が愛好会連盟に加入するのが早い。愛好会連盟の中に市民大会実行委員と子供大会実行委員を設け担当分けして行う。寺下先生がそれで調整してくれたとします。寺下先生が重しになってくれるうちはいい。
愛好会連盟は市民大会を運営してゆくのが年々大変になっている事情があります。「子供大会だけなんて言わず、市民大会のほうも手伝ってくださいよ」となってゆくでしょう。まして、愛好会連盟が長年にわたりそろえてくれた盤駒やチェスクロックを子供大会でも使わせてもらう訳です。
いっぽう子供大会のスタッフは「子供大会はすごくいいと思ってお手伝いしたけれど、市民大会まではちょっと」となるでしょうね。
寺下先生が頭でやってくれるうちはこのあたりの亀裂は何とか最小限でおさまってくれることが期待できるのですが、そうでなくなると、どうなるか。
「原さん考えすぎですよ。子供大会いいじゃないですか。一度やってみましょうよ」と多くの方が思うことでしょう。やればとても盛り上がり、ぜひ今後もと市民将棋ファンが沸き立つ絵が浮かびます。が、上記のような問題、そのものズバリでなくとも何かそのような事が起きるはずです。渦中の中心に居るのが私になるだろう。人に代わってもらったとしても不満自体は消えないので「アイツがなぜ出てこない」になる。
もうひとつの構造的問題は、将棋活性化に関する諸々の仕事をやるべくしてやっている人が寺下先生以外に居ない。将棋関係者やその家族、将棋を事業として行っている人、将棋イベントが商店街活性化の一環として行われていてその商店街の人とか。そのような人がおらず仕事とは関係ないボランティアばかり。みなさん「この範囲だけは奉仕しよう」と自分の役割を決めてがんばってはいるが、それだと低め安定で伸びないですね。やったらいいのにという事はたくさんあるが、過度な手間やトラブルや批判を浴びることまでひっくるめて請け負うことを必然的にやる人が居ない。
暗くなりましたので、最後にちょっとアゲて終わります(笑)。低め安定でも、市という単位での将棋が続いてきたのはたいしたものです。
多くの自治体では寺下先生のような存在がなく下火になっているのでしょう。市民大会や公民館同好会がなくなったとしても、ネットもあるし電車に乗って道場に行くこともできる。将棋を指す場は得られます。そうしてモノトーンな街になってゆく。
「文教都市・市川を再び」と市長選の候補者たちが叫んでいますが、まさにこのようなことでしょうね。昔は市民に尽くすことがリアルに経済的にメリットになった人たちがもっと多かった。今は勤め人の街になり、そうではない。ないということを前提に、文化と教育の街にするのかどうか。するにはどうすればいいかというところです。