ストリートライブには突拍子ないかもしれませんが、マイセンライブでよく歌われた曲で、常連だった方が来られていたので演ってみました。手拍子をいただき、楽しい雰囲気になりました。
弾き語り
ストリートライブには突拍子ないかもしれませんが、マイセンライブでよく歌われた曲で、常連だった方が来られていたので演ってみました。手拍子をいただき、楽しい雰囲気になりました。
年内ライブは、14日(土)マイセンライブそして29日(日)行徳駅前ストリート。
— 行徳将棋クラブ/原伸一 (@GyotokuShogi) December 1, 2019
ニューオータニで一人5000円でディナーショーやりたかったんですけどね〜 800人は集められない(笑)
先週のマイセンライブみんなで歌おうコーナーより「なごり雪」1コーラス。#桜を見る会 pic.twitter.com/ZEnMb26zDy
クリーンセンターをどうするかという大問題を抱え日常を過ごす市川の私たちに、感じるものがある歌かなと思います。
「ゴミできらめく世界が 僕たちを拒んでも ずっとそばで 笑って いてほしい」
何故かわからないがマイセンライブは今夜も盛況。引いてゆく人より新規やリピーターが上回る訳のワカラナイ現象。伴奏者はクソ野郎ですが、気にせず楽しく歌ってください。
— 行徳将棋クラブ/原伸一 (@GyotokuShogi) September 28, 2019
みんなで歌おうコーナーより「空も飛べるはず」2番。朝ドラの影響か、最近スピッツが人気高いです。 pic.twitter.com/XYFzAthzgf
ご来場いただきました皆様に感謝申し上げます。
みんなで歌おうコーナーより「いちご白書をもう一度」の後半です。
8月31日(土)行徳の珈琲館マイセンライブにて。みんなで歌おうコーナーより「いちご白書をもう一度」後半。#行徳 #ライブ pic.twitter.com/np6MxUFQgh
— 行徳将棋クラブ/原伸一 (@GyotokuShogi) September 1, 2019
エンディング曲の「主人公」です。
みんなで歌おうコーナーで人気の高い曲の1つです。「二人でお酒を」1コーラス。
ありがたいことに今宵も盛況のマイセンライブより。
— 行徳将棋クラブ/原伸一 (@GyotokuShogi) 2019年5月11日
みんなで歌おうコーナーでなぜか人気の高い「二人でお酒を」1コーラス。
♯行徳 pic.twitter.com/zQXaae6bsz
行徳駅前ストリートライブの良い点をひとつご紹介させていただきますと、小さいお子さん連れの親子が多く来てくれます。「ライブハウスだと行きにくいけど、ここなら」ということで、親子で行けるコンサートとして機能しているようです。
平成のうちにもう1曲。平成元年はオフコースが解散した年。小田和正さんソロスタートの年でした。平成3年のヒット曲、ラブ・ストーリーは突然に。2番1コーラス。 pic.twitter.com/BvHFjl34y4
— 行徳将棋クラブ/原伸一 (@GyotokuShogi) 2019年4月30日
「えぇぇぇっ!?向こうで捜索願い出てないだろうね」
訳の分からないエネルギーを放ちつつある行徳駅前ストリートライブ。原の歌唱で平成元年のヒット曲、長渕剛さんの「とんぼ」1コーラス。
さようなら平成。
死にたいくらいに憧れた 花の都大東京・・・だっただろうか。しあわせのとんぼよ、お前はどこへ飛んで行く。4/28行徳駅前ストリートライブ原のソロより、平成元年のヒット曲。長渕剛さんの「とんぼ」とんぼ1コーラス。さようなら平成。 pic.twitter.com/vPax4Q7DCb
— 行徳将棋クラブ/原伸一 (@GyotokuShogi) 2019年4月30日
27日(土)が平成最期のマイセンライブということで「平成を振り返るシリーズ」の第一回。うろ覚えで適当に歌ってしまいましたがかなり音違いますね。次に歌うときは修正します。
この曲は平成3年(1991年)のヒット曲。
4月13日(土)のマイセンライブより。槇原敬之さん「どんなときも」カバー、1コーラスです。 pic.twitter.com/62ADGt8OAx
— 行徳将棋クラブ/原伸一 (@GyotokuShogi) 2019年4月14日
歌詞の解釈とその背景について。
加藤登紀子さんが歌った日本語の訳詞はロシア語の原詞にかなり忠実で、概ねその通りです。花が好きな女優を愛した絵描きが、家も絵も売り払いありったけのバラを買い、彼女の部屋の前をバラの花で埋め尽くす。しかし彼女はお金持ちがふざけているのかしら?としか思わず、やがて汽車で別の街へ行ってしまいそれきり。絵描きはその後とても貧しい人生を送りますが、心にはバラの思い出がありましたとさ。
それですとニュアンスとしては「恋が実らなかった可哀そうな絵描きの歌」という印象を持ちます。が、ちょっと違うんじゃないかな?と思ったことがありました。
この歌の作詞者はアンドレイ・ヴォズネセンスキーというロシアの詩人で、実は百万本のバラがヒットした数年後、1980年代の後半に来日したことがあります。
「東京の後にニューヨークへ行くそうだね」
「あっちじゃマディソン・スクエア・ガーデンを用意して待ってるんだってよ」
「えらい違いだよね。日本じゃこんな場所で気の毒だね」
学生たちが集まりザワザワとそんな会話がされていたのは、当時北区西ヶ原にあった東京外国語大学の講義室。ホスト役を務めていたのがロシヤ科の主任教授で後に学長になるロシア文学者の原卓也先生だったのですが、突然のことでそういう場しか準備できなかったのでしょう。
やがてヴォズネセンスキー氏が登場し、詩の朗読会が始まりました。
「私はゴヤ」の朗読を今も覚えています。ゴヤは1800年前後のスペインの画家で、宮廷画家でしたが腐敗したスペイン王政を風刺するような絵を描いて追放された人。それに自分をなぞらえた詩。最後の「星たちを打ち砕き/忘られることなき空に爪のように突き刺す」は痛烈。そこでカッと目を見開き右手を力強く振り下ろしました。
炎のような反体制派の人。権力者たちに対して「お前らがクズ野郎だって永遠に知らしめてやる」ってことですね。ものすごい情熱家なんだと思いました。
と、いうことは。「百万本のバラ」の読み方がちょっと変わってきません?
1番の歌詞でバラを買うのに家を売るんですが、家って「安定した暮らし」とかそういうものの象徴なのでしょう。ゼンブ捨てた。そして3番、汽車で行っちゃったその女優について、実はロシア語の詞には「しかし彼女の人生には/狂気のバラの詩があった」という強烈な一節があります。日本語歌詞ではこれが「真っ赤なバラの花は/華やかな彼女の人生」と意訳されています。「彼女の心にずっと狂ったバラの歌が残りました」では歌謡曲として売り出せないからそうしたのかもしれません。が、本当はストレートにとるべきではないか。
つまりこの歌は、食うために売り物の絵を描き続けるクソな人生を捨て、真に訴えたいことを伝えたい人の心に命がけで残した絵描きの芸術家魂の詩ではないか。そして根底に反権力の精神を携えた、バリバリのメッセージソング。
と、思ったんですけどね。でも、ピロスマニという旧ソ連では有名な絵描きがモデルだそうで、愛した女優に本当にバラを贈ったかどうかは諸説あるようですが、それ以上のものではないのかもしれません。すべて投げ出した恋が実らなかった失恋ソングという理解でもよいのだろうと思います。
父が生前、一度だけマイセンライブに来てくれて
「お前はなんでロシア語の歌を歌わんとか?聞きたい人がいっぱいおるはずやっちゃが」
「おらんて。なに言うちょっとや」
という問答をその後数限りなく繰り返し、それが遺言のように父は亡くなってゆきました。第二次大戦世代で、憎しみの中にも美しいモノを、年老いて許しつつ受け入れる心があったのかもしれません。同じ気持ちの人々が居るはずと。
私がポツンと行徳の喫茶店で演ってもしゃーないですが。でもこの機会に、ちょっと演ってみました。
3月9日(土)行徳珈琲館マイセンライブより、リクエストをいただいていた「百万本のバラ」1コーラス。ロシア語Ver.。 pic.twitter.com/Q0MIP6vbp4
— 行徳将棋クラブ/原伸一 (@GyotokuShogi) 2019年3月9日
と聞かれることがありがたいことに度々ございまして、メニューバーに項目を追加いたしました。スマホでもPCでも、上の方に表示されます。
「おぉ、わかりやすい。将棋もこれにしてくれないか」というお声もあるかもしれませんが、将棋は記載項目が多いので入力の関係上、記事で投稿する現在の方式でご了承ください。
さて将棋の話ですが、昨日は本八幡にて愛好会連盟の諸先輩方と最終打ち合わせ。そろえるものをそろえて何とかなる気でいたものの、具体的に細かく見ると色々あります。例えば表彰式ですが、名前を呼ぶ人、賞状・盾を渡す人、賞状・盾を渡す人へ運ぶ人・・・の3人が必要になります。決めとかないとイケナイとか、そんな感じで。さて、怒涛のあと10日間。最後の追い込み。
マイセンではとても人気がある曲。みなさん色々おありのようです。
『どうにかなるでしょ ここの街の どこかで私は生きてゆくのよ
それでもたまに 淋しくなったら 二人でお酒を 飲みましょうね 飲みましょうね』
1月26日(土)行徳珈琲館マイセンライブみんなで歌おうコーナーより「二人でお酒を」。 pic.twitter.com/IQWAR2BKea
— 行徳将棋クラブ/原伸一 (@GyotokuShogi) 2019年1月26日
1月12日(土)行徳珈琲館マイセンライブみんなで歌おうコーナーより「あの素晴らしい愛をもう一度」1コーラス。 pic.twitter.com/LfTgVwqszo
— 行徳将棋クラブ/原伸一 (@GyotokuShogi) 2019年1月12日
どういうのがいいのかなぁ〜と頭を抱えていたら、ふと、選挙に出る友人たちも同じことをやってるだろうなと思い可笑しくなりました。
政治ビラって、最近はあまり細かい政策など書かないのがトレンドになっているみたいですね。視覚的なイメージを優先したほうが効果的だそうです。小難しいことを書いても読まれないので、キャッチフレーズと興味を引く政策の項目を幾つか載せるくらいにして、敢えて中身を省くらしい。でも、ホントに中身のない人が当選しちゃう可能性あるけど(笑)
将棋大会で言うと、家でお父さんとしかやったことないとか、学童のお友達と時々やるくらいとか、そういう子たちにアピールしたいんですよね。将棋は好きだけど大会に出れるなんて思っていない子たちを動かしたいのですが、どう書けば心が動くか。悩んでいます。
それとはまったく関係ないですが、前回のマイセンライブから「サボテンの花」(財津和夫カバー)。
楽しい雰囲気をお伝えできたか「高評価」もたくさんいただいており、ありがとうございます。プッとふき出していただいたらそれで結構で、むしろそうあって欲しいです。
さて、タイトルは「NG集」としてあるのですが、演奏しているのは「ガイコクジンノトモダチ」という今年発売されたアルバム「BIG YELL」に収録されている曲・・・だそうです。私もスタジオで初めて知りました。山口くん堀木くんに
「内容ある歌詞だね」
と聞くと、最近発売されたものであることを教えてくれました。原曲を聴くとレコーディングもギター一本に近い収録で昔のゆずっぽく、なるほどカバーしたくなる演奏です。
ただ歌詞の内容が「出して大丈夫かな?」と、ちょっと躊躇するところ。しかし「国歌を歌うことや桜の綺麗な靖国のあたりでデートすることに、わだかまりを感じなきゃいけないって変だよね」と若い年齢層では大半の人々が感覚を共有しているならば問題なしかと。ゆずがこれを歌って受け入れられてるなら、そうなのだろう。「右だの左だのって、やめてくださいよ」というのが若者たちの気持ち寄りな気がする。
と、その場では思ったのですが帰って検索してみたら・・・
スゲー炎上している。どれくらいの年齢のどういった人々が騒いでいるのか不明ですが、サンデーサティーズはYouTubeをよく見るゆずファンには有名なので、まともにカバーして出せば火の粉はかかってくるかもしれない。
そんな訳で二人と相談し、編集で笑いにもっていきチャンネル宣伝のCM動画としてアップすることにしました。
尚、最後失敗して切れてしまった後の歌詞は次のように続きます;
「この国に生まれ 愛し そして生きる
なのに どうして胸を張っちゃいけないのか?
この国で泣いて 笑い 怒り 喜ぶ
なのに 国旗はタンスの奥にしまいましょう
平和な日本チャチャチャ
美しい日本チャチャチャ 」
ちなみに私個人のことを言えば、思想的にノンポリなので、国旗国歌法で定められたものである日の丸を仰ぎ君が代を歌うことに対して、わだかまりを感じることはありません。
そう、教育現場などで「強制するのはどうか」という議論はありますが、大半の現状肯定の人々にとり別に不自由はない。
ただ、北川悠仁さん(ゆず)にとっては、アーティスト活動の中で「ゆずはこういうことは言ってくれるな」という制約が色々あるでしょうから、それらに対し窮屈さを感じていたかもしれないと想像します。つまりこの「ガイコクジンノトモダチ」は、これを訴えたかったというよりは「ゆずの殻を破るためのチャレンジ」だったのではないでしょうか。
ゆずご本人たちがサンデーサティーズの動画を見たら「うらやましいなぁ」と思うかもしれません(笑)。
また改めて書きますが、まずはバイオリンのさとパパさんとご一緒した「まほろば」をアップします。今回は音響の面では大変申し訳ございませんでした次第なのですが、雰囲気だけでも伝わればと思います。
1曲目は「嗚呼、青春の日々」(山口宏一+堀木康太郎)。
2曲目は「桜木町」(原伸一+堀木康太郎)。
市川市がほこるフォークソングの巨匠、さだまさしさんの「まほろば」を弾き語りました。
長文になりますが、よろしければお付き合いください。
かくばかり 恋いつつあらずは 高山の 磐根し枕(ま)きて 死なましものを(巻二・八六)
居明かして 君をば待たむ ぬばたまの わが黒髪に 霜はふるとも(巻二・八九)
上記は磐姫皇后(いわのひめのおおきさき・4世紀)という仁徳天皇の皇后が詠んだ歌で、万葉集におさめられています。本当に彼女が詠んだのかという点には諸説あるようですが、ここではそういうことにします。
磐姫皇后は過激に嫉妬深い女性として知られ、夫である仁徳天皇に妾を寄せ付けませんでした。ところがあるとき彼女が外出した隙に、仁徳天皇は宮中に他の女性を入れてしまいます。激怒した磐姫皇后は出て行ってしまい、別の土地に居座ってしまいました。上記二首は嫉妬心に打ち震えながら仁徳天皇に焦がれる心を歌ったもので、意味はこんな感じでしょうか。
「(巻二・八六) このような恋しい心の痛みが止まないのなら、いっそ深い山奥の岩を枕に眠りにつくようにして死んでしまいたい」
「(巻二・八九) ここで寝ずにあなたを待っています。私の黒い髪に白い霜が降っても」
(黒髪に霜が降るという表現は、文字通り凍える夜に凍結して白くなるという現在進行形の意味と、年老いて白髪になってもという長い時間軸の意味を兼ねている)
和歌の世界では先人の歌を引き継いで新たな作品をつくることを「本歌取り」と言いますが、この「まほろば」という曲は、さだまさしさんが磐姫皇后の歌を引き継いだ壮大なスケールの本歌取りです。様々な人々が様々な解釈を試みていて、まさに千差万別。千人居れば千人の、万人居れば万人の解釈が存在することでしょう。以下、原が感じていることを記しますが解らない部分もかなりあり、正直に「難解・不明」とさせていただきますが、悪しからず。
春日山から飛火野辺り
ゆらゆらと影ばかり 泥む夕暮れ
馬酔木(あせび)の森の馬酔木(まよいぎ)に たずねたずねた 帰り道
作者この曲の制作にあたり何度も奈良の春日大社を訪れたという。飛火野(とぶひの)はその周辺の地名。
馬酔木は春に小さな白い花を房にしてつける万葉植物。馬が食べると酔ったようになるのが名の由来。
遠い明日しか見えない僕と
足元のぬかるみを 気に病む君と
結ぶ手と手の虚ろさに 黙り黙った 別れ道
川の流れは よどむことなく
うたかたの時 押し流してゆく
昨日は昨日 明日は明日 再び戻る今日は無い
鴨長明『方丈記』。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」
例えば君は待つと 黒髪に霜のふる迄
待てると云ったがそれは まるで宛名の無い手紙
「居明かして 君をば待たむ ぬばたまの 我が黒髪に 霜は降るとも」
万葉集、磐之姫皇后。夫の仁徳天皇に、髪の毛が白くなっても待っていますと歌っている。
「宛名の無い手紙」は何を意味するかについては様々の説がある。「愛する人を待ち望むその心は、必ずしも特定の誰かに向けられているものなのか?」・・・難解。
寝ぐらを捜して鳴く鹿の
後を追う黒い鳥鐘の声ひとつ
馬酔の枝に引き結ぶ 行方知れずの懸想文
「懸想文」は恋文。ここも難解。行方知れずのラブレターを木の枝に結ぶという。鹿が鳴くのは雄の雌への求愛行為であることも、イメージが重なる。特定の誰かを求めているのか、あるいは愛し愛される人が欲しいという鳴き声、宛名なき恋文なのか。
二人を支える蜘蛛の糸
ゆらゆらと耐えかねてたわむ白糸
君を捨てるか僕が消えるか
いっそ二人で落ちようか
芥川龍之介の蜘蛛の糸。
時の流れは まどうことなく
うたかたの夢 押し流してゆく
昨日は昨日 明日は明日 再び戻る今日は無い
例えば此処で死ねると 叫んだ君の言葉は
必ず嘘ではない けれど必ず本当でもない
難所のクライマックス。「そのために死ねるという愛は、今は私との愛であることは嘘ではないでしょう。けれど私とであることは絶対ではない。身を滅ぼすほどのその愛は、誰かが居るからではなく本来あなたの中にあるもの」
日は昇り 日は沈み振り向けば
何もかも移ろい去って
青丹よし 平城山の空に満月
「月」は女性の象徴なのだろう。永遠に光を放つ女性の性とは何なのか。不明。
なごり雪をリクエストくださり、みなで合唱したのをよく覚えています。
亡くなられてからもうすぐ1年。楽しい思い出を忘れません。ありがとうございました。
岡林信康さんの「友よ」(1968年)。レコードではゆったりとしたアルペジオの曲ですが、ライブではアップテンポでも演奏されていました。両方とり入れ、アルペジオスタートで途中からストロークにしてみました。
岡林さんは、最後にみんなで歌える曲をつくりたかったそうです。ところが労働歌として認知され、労働運動や学生運動のシンボルになってしまった。「岡林信康はこういう歌をうたわなければならない」・・・そのレッテルにより彼は自由な音楽活動を行うことが難しくなります。当時は全国の「労音」組織がフォークシンガーたちの舞台を準備してくれていたし、難しい面があったでしょうね。「こういう歌を歌え」という要求がキツかったのでしょう。
半世紀を経た今、純粋に歌として楽しめればと思います。
友よ 夜明けは近い 夜明けは近い
友よ夜明け前の 闇の中で
友よたたかいの 炎をもやせ
夜明けは近い 夜明けは近い
友よ この闇の向こうには
友よ 輝くあしたがある
友よ 君の涙 君の汗が
友よ 報われるその 日がくる
夜明けは近い 夜明けは近い
友よ この闇の向こうには
友よ 輝くあしたがある
友よ 登り来る朝日の中で
友よ 喜びを分かち合おう
市川ゆかりの偉大なフォークシンガーさだまさしさん「防人の歌」。1980年日本映画の名作「二百三高地」のテーマ曲。中学生のときに映画館で観た強烈な印象が今も残ります。次から次へ突撃しバタバタと倒れていく日本兵の姿を延々と目の当たりにしてグッタリしました。流れてきたこの歌を呆然と聴いていました。
コメント欄が思いのほか以前のように荒らされることがないので、管理人へのメッセージフォームも設置してみました。将棋教室の問い合わせなどにご利用いただければと思います。また、行政に関するテーマについて色々と考察していますので、こうすべきとある程度方向性がまとまっている事項については「フォークシンガー原の提言」という形で随時整理してゆきたいと思います。
将棋のブログとして読んでくださっていた方は、フォークシンガー色が強くなり戸惑うかもしれず申し訳ありません。私の中では歌も将棋もすべて一体となっているのですけど(笑)。よくわからない世界観ですが。
2003年に、フォークギターを持って弾き語りの活動を始めました。今は無くなってしまった塩焼きの居酒屋さんを拠点に。あの頃はまだおおらかで、行徳駅前で路上ライブをやってもおまわりさん来なかった。途中から駅前喫茶店マイセンに拠点を移し現在に至ります。50歳の節目に、心機一転。
テロ集団のSNS発信メッセージが若者の心に入り込んでしまうことに、責任を感じます。刺激的な歌がないからあんなものに入り込まれてしまうのかもしれない。
若いみなさん、爆弾ではなくギターを持たないかい?
いっしょに世の中を変えようではないか。