Hara Blog

千葉県市川市の行徳で弾き語り活動を行っている、フォークシンガー原の日記です。公認将棋指導員として、子供たちの将棋の話題なども。

弾き語り

「いちご白書」をもう一度

「いちご白書」をもう一度。ばんばひろふみさんのグループ「バンバン」による1975年のヒット曲です。

「いちご白書」は1970年のアメリカ映画。どんな映画か興味ある方は、5年前に投稿したこちらの記事をご参照ください。

二人でお酒をLIVE2020

先週の行徳駅前ストリートライブより、梓みちよさんのカバーで「二人でお酒を」。

ストリートライブには突拍子ないかもしれませんが、マイセンライブでよく歌われた曲で、常連だった方が来られていたので演ってみました。手拍子をいただき、楽しい雰囲気になりました。

マイセンライブより

最近ブログが殺風景ですみません。ツイッター投稿のリンクをひとつ貼っておきます。

ゴミできらめく世界

9月28日(土)マイセンライブより「空も飛べるはず」2番。

クリーンセンターをどうするかという大問題を抱え日常を過ごす市川の私たちに、感じるものがある歌かなと思います。
「ゴミできらめく世界が 僕たちを拒んでも ずっとそばで 笑って いてほしい」

いちご白書をもう一度(マイセンライブみんなで歌おうコーナーより)

8月31日(土)夜は、マイセンライブでした。
ご来場いただきました皆様に感謝申し上げます。

みんなで歌おうコーナーより「いちご白書をもう一度」の後半です。

第2回「夏市川から」報告

昨日8月11日、第2回「夏市川から」を開催し盛況のうちに終えることができました。どうもありがとうございます。

エンディング曲の「主人公」です。

二人でお酒を

ありがたいことに、昨晩のマイセンライブは盛況でした。
みんなで歌おうコーナーで人気の高い曲の1つです。「二人でお酒を」1コーラス。



親子で行けるコンサート

平成のうちにもう1曲。平成元年はオフコースが解散した年。小田和正さんソロスタートの年でした。平成3年のヒット曲、ラブ・ストーリーは突然に。2番1コーラス。
 
行徳駅前ストリートライブの良い点をひとつご紹介させていただきますと、小さいお子さん連れの親子が多く来てくれます。「ライブハウスだと行きにくいけど、ここなら」ということで、親子で行けるコンサートとして機能しているようです。



しあわせのとんぼよどこへ

4/28、行徳駅前でライブの準備をしていると、ギターを持ったひとりの青年が現れた。話を聞けばギターと寝袋を持って実家を飛び出し、フェリーと電車を乗り継ぎ昨日東京に辿り着きネットカフェで一夜を過ごして今日ここに至る。
 
「えぇぇぇっ!?向こうで捜索願い出てないだろうね」
 
訳の分からないエネルギーを放ちつつある行徳駅前ストリートライブ。原の歌唱で平成元年のヒット曲、長渕剛さんの「とんぼ」1コーラス。
さようなら平成。





どんなときも

4月13日(土)マイセンライブより、槇原敬之さん「どんなときも」カバー1コーラス。
27日(土)が平成最期のマイセンライブということで「平成を振り返るシリーズ」の第一回。うろ覚えで適当に歌ってしまいましたがかなり音違いますね。次に歌うときは修正します。

この曲は平成3年(1991年)のヒット曲。



ソ連時代のプロテストソング

ちょっと引っかかっていることというか、気になっていること。

百万本のバラの投稿で、生前の親父とのやりとりを書きました。ロシアの歌を聴きたい人が「おるはずや」「おらんて」という。
確かに日本中見渡せば愛好する人々はそこそこ居るとは思います。実際に各地の「歌声喫茶」は今でもがんばっていて、ロシアの歌も愛好家が集まり歌われている。ロシア民謡・歌謡的なもので新たに何かを始める意味はない。

いっぽう、実はポッカリと空白の部分はあって。

1960年代〜欧米のアーティストたちによるプロテスト・ソングの文化ですね。ボブ・ディラン、ジョン・レノン、PPM、・・・それらは日本でもよく知られていますが、反対の社会主義側、つまりソ連ですね。同じころに同じようなうねりがあって、ディランやレノンに匹敵するような人気を得てすぐれた作品を残しているのだけれど我々日本人はあまり知らないとしたら、どうですかね?

ヨーロッパや米国に住んだことがないので体感としてワカラナイのですが、たぶん日本よりは認知されているのではないか。というのも、ロシアからの移民や亡命芸術家が一定数居て彼らがその文化を支えただろうから。

その空白があったとして、それがそんなに日本にとり損失なのか?

どうですかね。ただ、人々が欲する作品は権力がどんなにそれを押さえつけようとしても広まりを止めることができないという事象を、その時代のロシアの作品群が最も顕著に証明しているとは思う。当局の意にそぐわない作品を出そうものならすぐ逮捕という時代に、地下出版やカセットテープでコピーからコピーを重ねて全土に広まってゆきました。芸術と権力とコマーシャルとの関係の在り方を折に触れ振り返るときに参考にすべきモデルではあり、歴史に留めておくべきでないかとは思います。

そこら辺の歌を演るということなら、無名のシンガーの小さなステージであっても、価値は高いでしょうね。
なんて言うと「じゃぁそれヤレ」と言われちゃうんで、言わなかったなぁと。それが引っかかっていること。親父に悪かったなぁと。

先日記事にしました詩人、アンドレイ・ヴォズネセンスキーも、ソ連のその時代の芸術家たちの中心人物の一人です。従って、日本で「百万本のバラ」をヒットさせた加藤登紀子さんの功績はとても大きい。
最期に脱線して終わりますが、百万本のバラについてひとつ付け加えるなら・・・日本に最初にこの歌を紹介したのは、兵頭ニーナさんという女性シンガーなのです。NHKロシア語講座の歌のコーナーで歌っていた方ですね。銀座で弾き語りをしている頃によく聴きに行きました。素晴らしいシンガーです。現在は札幌でロシア料理店を経営されているようです。

「百万本のバラ」の作詞者について

少し間延びしましたが、百万本のバラを演った機会に書き留めておきたいことがありました。
歌詞の解釈とその背景について。

加藤登紀子さんが歌った日本語の訳詞はロシア語の原詞にかなり忠実で、概ねその通りです。花が好きな女優を愛した絵描きが、家も絵も売り払いありったけのバラを買い、彼女の部屋の前をバラの花で埋め尽くす。しかし彼女はお金持ちがふざけているのかしら?としか思わず、やがて汽車で別の街へ行ってしまいそれきり。絵描きはその後とても貧しい人生を送りますが、心にはバラの思い出がありましたとさ。

それですとニュアンスとしては「恋が実らなかった可哀そうな絵描きの歌」という印象を持ちます。が、ちょっと違うんじゃないかな?と思ったことがありました。
この歌の作詞者はアンドレイ・ヴォズネセンスキーというロシアの詩人で、実は百万本のバラがヒットした数年後、1980年代の後半に来日したことがあります。

「東京の後にニューヨークへ行くそうだね」
「あっちじゃマディソン・スクエア・ガーデンを用意して待ってるんだってよ」
「えらい違いだよね。日本じゃこんな場所で気の毒だね」
学生たちが集まりザワザワとそんな会話がされていたのは、当時北区西ヶ原にあった東京外国語大学の講義室。ホスト役を務めていたのがロシヤ科の主任教授で後に学長になるロシア文学者の原卓也先生だったのですが、突然のことでそういう場しか準備できなかったのでしょう。
やがてヴォズネセンスキー氏が登場し、詩の朗読会が始まりました。

外語大正門


「私はゴヤ」の朗読を今も覚えています。ゴヤは1800年前後のスペインの画家で、宮廷画家でしたが腐敗したスペイン王政を風刺するような絵を描いて追放された人。それに自分をなぞらえた詩。最後の「星たちを打ち砕き/忘られることなき空に爪のように突き刺す」は痛烈。そこでカッと目を見開き右手を力強く振り下ろしました。
炎のような反体制派の人。権力者たちに対して「お前らがクズ野郎だって永遠に知らしめてやる」ってことですね。ものすごい情熱家なんだと思いました。

と、いうことは。「百万本のバラ」の読み方がちょっと変わってきません?

1番の歌詞でバラを買うのに家を売るんですが、家って「安定した暮らし」とかそういうものの象徴なのでしょう。ゼンブ捨てた。そして3番、汽車で行っちゃったその女優について、実はロシア語の詞には「しかし彼女の人生には/狂気のバラの詩があった」という強烈な一節があります。日本語歌詞ではこれが「真っ赤なバラの花は/華やかな彼女の人生」と意訳されています。「彼女の心にずっと狂ったバラの歌が残りました」では歌謡曲として売り出せないからそうしたのかもしれません。が、本当はストレートにとるべきではないか。

つまりこの歌は、食うために売り物の絵を描き続けるクソな人生を捨て、真に訴えたいことを伝えたい人の心に命がけで残した絵描きの芸術家魂の詩ではないか。そして根底に反権力の精神を携えた、バリバリのメッセージソング。

と、思ったんですけどね。でも、ピロスマニという旧ソ連では有名な絵描きがモデルだそうで、愛した女優に本当にバラを贈ったかどうかは諸説あるようですが、それ以上のものではないのかもしれません。すべて投げ出した恋が実らなかった失恋ソングという理解でもよいのだろうと思います。

百万本のバラ

3月9日行徳珈琲館マイセンライブより、リクエストをいただいていた「百万本のバラ」。ロシア語で歌ってみました。
父が生前、一度だけマイセンライブに来てくれて
「お前はなんでロシア語の歌を歌わんとか?聞きたい人がいっぱいおるはずやっちゃが」
「おらんて。なに言うちょっとや」
という問答をその後数限りなく繰り返し、それが遺言のように父は亡くなってゆきました。第二次大戦世代で、憎しみの中にも美しいモノを、年老いて許しつつ受け入れる心があったのかもしれません。同じ気持ちの人々が居るはずと。
私がポツンと行徳の喫茶店で演ってもしゃーないですが。でもこの機会に、ちょっと演ってみました。



メニューバーにライブスケジュール

「ライブスケジュールはどこを見たらよいですか?」
と聞かれることがありがたいことに度々ございまして、メニューバーに項目を追加いたしました。スマホでもPCでも、上の方に表示されます。
「おぉ、わかりやすい。将棋もこれにしてくれないか」というお声もあるかもしれませんが、将棋は記載項目が多いので入力の関係上、記事で投稿する現在の方式でご了承ください。

さて将棋の話ですが、昨日は本八幡にて愛好会連盟の諸先輩方と最終打ち合わせ。そろえるものをそろえて何とかなる気でいたものの、具体的に細かく見ると色々あります。例えば表彰式ですが、名前を呼ぶ人、賞状・盾を渡す人、賞状・盾を渡す人へ運ぶ人・・・の3人が必要になります。決めとかないとイケナイとか、そんな感じで。さて、怒涛のあと10日間。最後の追い込み。

本八幡にて

二人でお酒を

行徳珈琲館マイセンライブみんなで歌おうコーナーより「二人でお酒を」1コーラス。
マイセンではとても人気がある曲。みなさん色々おありのようです。

『どうにかなるでしょ ここの街の どこかで私は生きてゆくのよ
 それでもたまに 淋しくなったら 二人でお酒を 飲みましょうね 飲みましょうね』


あの素晴らしい愛をもう一度

通常はブログ記事をツイッターとフェイスブックにシェアするのですが、逆パターンにて。


サボテンの花

チラシの作業をしたり構想を練ったりしています。音楽と将棋と両方。色々つくらないといけない。

どういうのがいいのかなぁ〜と頭を抱えていたら、ふと、選挙に出る友人たちも同じことをやってるだろうなと思い可笑しくなりました。
政治ビラって、最近はあまり細かい政策など書かないのがトレンドになっているみたいですね。視覚的なイメージを優先したほうが効果的だそうです。小難しいことを書いても読まれないので、キャッチフレーズと興味を引く政策の項目を幾つか載せるくらいにして、敢えて中身を省くらしい。でも、ホントに中身のない人が当選しちゃう可能性あるけど(笑)

将棋大会で言うと、家でお父さんとしかやったことないとか、学童のお友達と時々やるくらいとか、そういう子たちにアピールしたいんですよね。将棋は好きだけど大会に出れるなんて思っていない子たちを動かしたいのですが、どう書けば心が動くか。悩んでいます。

それとはまったく関係ないですが、前回のマイセンライブから「サボテンの花」(財津和夫カバー)。

そういうことなのさ

雨で中止になった9/29行徳駅前路上ライブで水野佳さんに歌っていただく予定だった曲のスタジオ録画第4弾。水野さん作詞作曲の「そういうことなのさ」です。



せっかくの機会なのでオリジナルも1曲お願いしようと準備させていただいたものです。ストリートライブを盛り上げてくれそうな曲で道行く人々の反応を見てみたかったですが、残念でした。またの機会に。

ゆず「ガイコクジンノトモダチ」問題

少し前に紹介したサンデーサティーズの「ゆずNG集」に関連して、編集裏話。もう一度動画を載せます。



楽しい雰囲気をお伝えできたか「高評価」もたくさんいただいており、ありがとうございます。プッとふき出していただいたらそれで結構で、むしろそうあって欲しいです。

さて、タイトルは「NG集」としてあるのですが、演奏しているのは「ガイコクジンノトモダチ」という今年発売されたアルバム「BIG YELL」に収録されている曲・・・だそうです。私もスタジオで初めて知りました。山口くん堀木くんに
「内容ある歌詞だね」
と聞くと、最近発売されたものであることを教えてくれました。原曲を聴くとレコーディングもギター一本に近い収録で昔のゆずっぽく、なるほどカバーしたくなる演奏です。

ただ歌詞の内容が「出して大丈夫かな?」と、ちょっと躊躇するところ。しかし「国歌を歌うことや桜の綺麗な靖国のあたりでデートすることに、わだかまりを感じなきゃいけないって変だよね」と若い年齢層では大半の人々が感覚を共有しているならば問題なしかと。ゆずがこれを歌って受け入れられてるなら、そうなのだろう。「右だの左だのって、やめてくださいよ」というのが若者たちの気持ち寄りな気がする。

と、その場では思ったのですが帰って検索してみたら・・・
スゲー炎上している。どれくらいの年齢のどういった人々が騒いでいるのか不明ですが、サンデーサティーズはYouTubeをよく見るゆずファンには有名なので、まともにカバーして出せば火の粉はかかってくるかもしれない。
そんな訳で二人と相談し、編集で笑いにもっていきチャンネル宣伝のCM動画としてアップすることにしました。

尚、最後失敗して切れてしまった後の歌詞は次のように続きます;
「この国に生まれ 愛し そして生きる
 なのに どうして胸を張っちゃいけないのか?
 この国で泣いて 笑い 怒り 喜ぶ
 なのに 国旗はタンスの奥にしまいましょう
 平和な日本チャチャチャ
 美しい日本チャチャチャ  」

ちなみに私個人のことを言えば、思想的にノンポリなので、国旗国歌法で定められたものである日の丸を仰ぎ君が代を歌うことに対して、わだかまりを感じることはありません。

そう、教育現場などで「強制するのはどうか」という議論はありますが、大半の現状肯定の人々にとり別に不自由はない。
ただ、北川悠仁さん(ゆず)にとっては、アーティスト活動の中で「ゆずはこういうことは言ってくれるな」という制約が色々あるでしょうから、それらに対し窮屈さを感じていたかもしれないと想像します。つまりこの「ガイコクジンノトモダチ」は、これを訴えたかったというよりは「ゆずの殻を破るためのチャレンジ」だったのではないでしょうか。

ゆずご本人たちがサンデーサティーズの動画を見たら「うらやましいなぁ」と思うかもしれません(笑)。

「夏 市川から プロローグ」より

「夏 市川から プロローグ」無事、終了しました。さだ友のみなさんと地元の方々で20名ほどの会になりました。思いもかけず良い会になり、個人的にも得るものが多かったです。

また改めて書きますが、まずはバイオリンのさとパパさんとご一緒した「まほろば」をアップします。今回は音響の面では大変申し訳ございませんでした次第なのですが、雰囲気だけでも伝わればと思います。

5月4日行徳駅前ストリートライブより

5月4日、行徳駅前ストリートライブより、サンデーサティーズによる「ゆず」カバーから2曲。
1曲目は「嗚呼、青春の日々」(山口宏一+堀木康太郎)。
2曲目は「桜木町」(原伸一+堀木康太郎)。



初恋

4月28日(土)夜の珈琲館マイセンライブより「初恋」(1983村下孝蔵)。

村下孝蔵さんはお隣の熊本県(私が宮崎なので)出身。市立水俣第一中学校ですね。南九州の風景が目に浮かぶようです。水俣市には「初恋通り」と名付けられた商店街があり、歌碑や少女像があるという。一度行ってみたいものです。

「まほろば」 さだまさし

3月24日(土)夜は、定例のマイセンライブ。
市川市がほこるフォークソングの巨匠、さだまさしさんの「まほろば」を弾き語りました。



長文になりますが、よろしければお付き合いください。

かくばかり 恋いつつあらずは 高山の 磐根し枕(ま)きて 死なましものを(巻二・八六)
居明かして 君をば待たむ ぬばたまの わが黒髪に 霜はふるとも(巻二・八九)

上記は磐姫皇后(いわのひめのおおきさき・4世紀)という仁徳天皇の皇后が詠んだ歌で、万葉集におさめられています。本当に彼女が詠んだのかという点には諸説あるようですが、ここではそういうことにします。

磐姫皇后は過激に嫉妬深い女性として知られ、夫である仁徳天皇に妾を寄せ付けませんでした。ところがあるとき彼女が外出した隙に、仁徳天皇は宮中に他の女性を入れてしまいます。激怒した磐姫皇后は出て行ってしまい、別の土地に居座ってしまいました。上記二首は嫉妬心に打ち震えながら仁徳天皇に焦がれる心を歌ったもので、意味はこんな感じでしょうか。

「(巻二・八六) このような恋しい心の痛みが止まないのなら、いっそ深い山奥の岩を枕に眠りにつくようにして死んでしまいたい」

「(巻二・八九) ここで寝ずにあなたを待っています。私の黒い髪に白い霜が降っても」
(黒髪に霜が降るという表現は、文字通り凍える夜に凍結して白くなるという現在進行形の意味と、年老いて白髪になってもという長い時間軸の意味を兼ねている)

和歌の世界では先人の歌を引き継いで新たな作品をつくることを「本歌取り」と言いますが、この「まほろば」という曲は、さだまさしさんが磐姫皇后の歌を引き継いだ壮大なスケールの本歌取りです。様々な人々が様々な解釈を試みていて、まさに千差万別。千人居れば千人の、万人居れば万人の解釈が存在することでしょう。以下、原が感じていることを記しますが解らない部分もかなりあり、正直に「難解・不明」とさせていただきますが、悪しからず。

春日山から飛火野辺り
ゆらゆらと影ばかり 泥む夕暮れ
馬酔木(あせび)の森の馬酔木(まよいぎ)に たずねたずねた 帰り道

作者この曲の制作にあたり何度も奈良の春日大社を訪れたという。飛火野(とぶひの)はその周辺の地名。
馬酔木は春に小さな白い花を房にしてつける万葉植物。馬が食べると酔ったようになるのが名の由来。

遠い明日しか見えない僕と
足元のぬかるみを 気に病む君と
結ぶ手と手の虚ろさに 黙り黙った 別れ道
川の流れは よどむことなく
うたかたの時 押し流してゆく
昨日は昨日 明日は明日 再び戻る今日は無い


鴨長明『方丈記』。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」

例えば君は待つと 黒髪に霜のふる迄
待てると云ったがそれは まるで宛名の無い手紙


「居明かして 君をば待たむ ぬばたまの 我が黒髪に 霜は降るとも」
万葉集、磐之姫皇后。夫の仁徳天皇に、髪の毛が白くなっても待っていますと歌っている。
「宛名の無い手紙」は何を意味するかについては様々の説がある。「愛する人を待ち望むその心は、必ずしも特定の誰かに向けられているものなのか?」・・・難解。

寝ぐらを捜して鳴く鹿の
後を追う黒い鳥鐘の声ひとつ
馬酔の枝に引き結ぶ 行方知れずの懸想文


「懸想文」は恋文。ここも難解。行方知れずのラブレターを木の枝に結ぶという。鹿が鳴くのは雄の雌への求愛行為であることも、イメージが重なる。特定の誰かを求めているのか、あるいは愛し愛される人が欲しいという鳴き声、宛名なき恋文なのか。

二人を支える蜘蛛の糸
ゆらゆらと耐えかねてたわむ白糸
君を捨てるか僕が消えるか
いっそ二人で落ちようか

芥川龍之介の蜘蛛の糸。

時の流れは まどうことなく
うたかたの夢 押し流してゆく
昨日は昨日 明日は明日 再び戻る今日は無い

例えば此処で死ねると 叫んだ君の言葉は
必ず嘘ではない けれど必ず本当でもない


難所のクライマックス。「そのために死ねるという愛は、今は私との愛であることは嘘ではないでしょう。けれど私とであることは絶対ではない。身を滅ぼすほどのその愛は、誰かが居るからではなく本来あなたの中にあるもの」

日は昇り 日は沈み振り向けば
何もかも移ろい去って
青丹よし 平城山の空に満月


「月」は女性の象徴なのだろう。永遠に光を放つ女性の性とは何なのか。不明。

「恋の歌謡日」市川市長選告知バージョン

3月17日(土)市川市長選告知ライブにて。ゆず「恋の歌謡日」市川市長選告知バージョンです。お楽しみください♪

選挙へ行こうライブ

選挙へ行こうライブ、大成功でした。

寒い中、お越しいただきました皆様、足を止めて聴いてくださった皆様、深く感謝申し上げます。スタッフ並みにお手伝いいただけました方々へも、厚く御礼申し上げます。

サンデーサティーズ


山口宏一くんと堀木康太郎くんの4月22日・市川市長選告知をまじえての素晴らしいパフォーマンスの一部を動画でお楽しみいただきたいと考えていますが、諸事情あり少々お時間ください。

選挙へ行こう

さよなら(オフコース)

3月10日(土)例のマイセンライブより、オフコース「さよなら」(1979年)の弾き語りです。

サンデーサティーズ

妙典祭りに毎年出演しているサンデーサティーズは、実はある方面で名の知られた存在になっています。

若いメンバーたちが20代後半から30にさし掛かりそれぞれに職場の関係などで無理ができなくなった時期に動画作成やホームページがほぼ止まってしまったのですが。企画開始時に山口くんと堀木くんが好きな「ゆず」を演奏するとわりと反応がよかったこともあり、ゆずを幾つかYouTubeに載せてありました。更新していないにも関わらず人気が出て、今や日本中のコアのゆずファンには広く知られた存在です。ギターを弾く若い子に「本物のゆずよりサンデーサティーズが自分にとってのゆず」と言われる位に。

私は手伝えていないのですが、二人はゆずの地元、横浜の応援団から熱烈ラブコールを受け、とても忙しくしています。ライブ出演もさることながら、例えば結成20周年記念の植樹祭に「ゆずの代わりにサンデーサティーズを呼びました」と紹介されて、土にスコップを入れたりとか。



活動拠点が横浜になってしまっているのが難点ですが、本来はそこまで支持を得ているのであればそれを伸ばすべきなのでしょう。ゆずを昔応援していた人たちががんばってくれているのですが、その先が中々難しい。
ここも政治でしょうね。ゆずの出身地の岡村や路上ライブで腕を磨いた伊勢佐木町の辺りをライブのメッカとして、実際すでにそうなのですがより力強く、自治体主導で広告宣伝に力を入れ外へアピールする。特定のアーティストだけ売ることはできませんが、ゆず発祥の地、弾き語り愛好家の街としてブランディングする。その中で色んなキャラが輝いてくればいい。強力にそれを推進してくれる地方政治家でも居ればよいのだけれど。

横浜のことを調べてみたのですが、地方議員さんたち伝統的な政治家のカラーですね。ちょっと無理かもしれない。カルチャー面より、現実的に解決しなければならない地域の課題を優先されるでしょう。

「せっかくここまでやったのに」ということがそこら中に散らかっている気がする今日この頃。取り組んだことの方向性はわりと正しくそこそこ芽は出るのだが、それ以上手に負えなくなりほったらかしにしてゆく人生になっている。

君が去ったホームに残り

船橋で将棋教室を長年運営されていた萱間先生が、何年か前にふらりとマイセンライブを訪ねて来てくれたことがありました。ご存知の方は想像つくと思いますが、イイ感じで酔っ払って全身で喜びを表現しつつ歌ってゆかれました。

なごり雪をリクエストくださり、みなで合唱したのをよく覚えています。
亡くなられてからもうすぐ1年。楽しい思い出を忘れません。ありがとうございました。

秋桜

12月9日(土)夜は、定例のマイセンライブ。

さだまさしさんの「秋桜」(1977年)です。

Neutral

11月25日(土)夜は、定例のマイセンライブ。

20代の後半、それまで熱を入れていた仕事を思い切って変えることを考えていた頃に作ったオリジナル曲「Neutral」(ニュートラル)。それ以来、人生の節目かなと思ったら歌う歌。今回は十数年ぶり。



Neutral

すべてが無駄な気もするし 賭けてみてもいい
美しく滅びてゆけるなら
正しいとか間違いとか 悩まなくていい
心の決めたままがいい

生きるための仕組みから 解き放たれて
振り返れば すべてが色あせる

仕事も 愛も 夢も 振り出しに戻して
少し眠ろう
夜明けの光を待って ギアはNeutral
海辺のパーキングエリアで

鉄格子とセメントの 中でピノキオが
人になりたいと泣けば
きれいな目をした子供たち 首をかしげて
不思議そうに見つめている

見せかけの自由から 幻想曲(ファンタジア)が流れ
踊らされた小鳥たちを 遠くに感じてる

時計も 地図も スーツも トランクにしまって
少し眠ろう
東からの風を待って ギアはNeutral
海辺のパーキングエリアで

街のノイズにうなされていたから 見失ってた
胸のビートの予感がしているから 今はこのまま

仕事も 愛も 夢も 振り出しに戻して
少し眠ろう
夜明けの光を待って 心はNeutral
海辺のパーキングエリアで
海辺のパーキングエリアで
時代のパーキングエリアで
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千葉県市川市の行徳将棋クラブを運営している原伸一です。ブログの更新情報をお届けしてゆきます。2020年11月米大統領選より関連情報の収集・発信に注力しています。
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毎週日曜日23時〜23時半 YouTubeライブ。
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Profile
ハラ

フォークシンガー原
(原 伸一)

1967年生。千葉県市川市の南部、行徳・妙典でアコースティックライブの主催等の活動を行っています。また、将棋教室を開いています。

将棋教室の情報は以下サイトにて。

http://gyotoku.livedoor.biz
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