前の投稿のつづき。リン・ウッドさんのステージ・パフォーマンスですが、普通の政治家のスピーチと全然違うことは一目瞭然。

「福祉をどうしましょう」とか「教育をこうしましょう」とか全く言わないので、オイオイと思っていたのですが、逆にそれを肯定しちゃってますね。細々した項目は語らないということを、紙を破り捨てる演出で表現しています。そうではなく、ハートに火を付けろと。

【彼らは様々な課題について語るだろう。
 (紙を見ながらそう言う。そしておもむろにその紙を破り捨てる)
 我々はアメリカについて語るんだ
 私があなたに問う課題は、アメリカのハートに火をつけることだ!】

そのステージパフォーマンスは、
・良く言えば優れたアーティストであり、卓越した宗教家。
・悪く言えばたちの悪いアジテーターであり、悪徳商法の詐欺師。
心理作戦としての手法は同じ。良い方に使うか、悪い方に使うか。あるいは善悪すら立場により異なるかもしれません。

ファンとしては良い方にとりたいですよね。優れたアーティストであり、卓越した宗教家。
そして、アーティストとしての種別なのですが、普通に素晴らしい作品を提供をするから支持されるというのとは別の資質を携えた人が、何十年にひとりか出てきます。例えば尾崎豊さんとか。心に闇を抱えた人々が、吸い寄せられる。同じ心の傷を感じて。それは麻薬のようなもの。つまり「カリスマ」。

ただでさえ、普通にやっているアーティストにも、心に傷を抱えた人々が多少は吸い寄せられてきます。そのようなファンと上手に一定の距離を保ちながら活動を継続できるかどうかが重要な要素になります。
その点、宗教は穏やかにそれを収拾する制度を確立している。週に一度仲間たちと説教を聞く場があり、傷が深い場合には告白の場があり。エンターテインメントは心が高ぶるので、収拾をつけるのが難しい面がある。

Qアノンストーリーやホワイトハット伝説のすべてを丸ごと、まともに信じていた人々が相当数居そうですよね。このところ色んなビデオを見て、そのような人々は恵まれない境遇に日頃から疑問を感じていたことがきっかけであることを知りました。貧しい人々が宗教に救いを求めるのと同じ構造になっている。いや、金銭的に恵まれていても心の隙間はあるだろう。

いま、その人々は喪失感に包まれているはず。Qなんて居なかったのか?と。
彼らの心の穴を埋め取り込むように、フリンさんとリンさんが動いている。アブナイことのように、客観的には見えます。先日の「Q is real!」には驚いたし、前の投稿の動画「マイケル・フリンはホワイトハットだ!」も背筋が寒くなる。ホワイトハット伝説の中のキャラクターが、生身の人間として舞台袖に居る。心の弱い人なら虚構と現実がごっちゃになるだろう。
演者側は、自分が何をやっているかを正確に把握しておかないと、後に収拾がつかなくなります。感情に流されてしまえば、尾崎豊になる。

でも、真のスーパースターなら大丈夫。普通に作品とパフォーマンスを評価して認めてくれている自立したファンと、心に闇を抱えて吸い寄せられてきた自分をコントロールできていないファンと、両方とも包摂して安定したマネージメントを確立している。長渕剛さんなんか、ファン層を見てもそうだと思います。リン・ウッドさんは長渕さん的かな?と個人的には見ています。

多くの心酔する熱狂的なファンを集めつつも、大嫌いと言うアンチもメチャ多い。その点も、リン・ウッドさんと長渕剛さんは似てるかなと思います。

リン・ウッドさん