もうひとつ、ノーマル振り飛車のエピソードを。
将棋をあまり知らない人のため簡単にご説明しますと、角道を止めてまずは自陣の整備をする振り飛車が昔ながらの戦法で通称「ノーマル振り飛車」。この常識を覆し、角道を開けっ放しもしくは角交換して序盤から乱戦歓迎で戦う振り飛車が平成の世に現れ隆盛となりました。

ゲーム勘のいい低学年の男の子ががんばってくれて、その年はその世代の千葉県の人材が薄かったこともあり、ある大会で好成績を収めてくれました。今となっては謝りたい気持ちですが「今年は低学年有段者が少ないらしい」と関係者の間で言われており、もしかするとと考え大会の少し前から平日に公民館で稽古しました。素直に期待に応えてくれて矢倉を主軸に綺麗な将棋に仕上がった。

親御さんがとても喜んでくれたのはよかったのですが、
「この子、才能があるんじゃないかしら」
と思いますよね。その後、将棋を指す色々な場へ連れて行くようになりました。それ自体は良いこと。色々経験することが悪かろうはずがない。

ところがやがて壁に当たって勝てなくなり、勝ってる子の将棋を横で見ては「あの戦法がいいんじゃないか」と中途半端にあれこれ手を出して、将棋が荒れてボロボロになってゆきました。親御さんのいら立ちも募っていった。手間暇をかけているのに強くならない。逆に本人は疲れていた。プレッシャーがのしかかり見るからに辛そうでした。

親子で話をさせていただけませんかとお願いして、行徳公民館で3者面談のようなことをやりました。もう少し楽に構えてよいのではないでしょうかということを含め、今その子の将棋の状態がどうなっているかを説明した。最終的に、もう一度一緒に立て直しをしましょうということにしました。

当時その子がイチバン興味を示していたのが中飛車。角道を開けたままの「ゴキゲン中飛車」と呼ばれる戦法を適当に指しては崩壊を繰り返していた。
「中飛車でいきたいか?」
クンクンと頷く。
「いまキミがやってるのはね、最近出てきた戦法でワナがたくさんあるんだ。たくさん勉強してワナをゼンブ覚えないといい戦いができない。でもどう? 勉強イヤだよね」
クンクンと頷く。
「同じ中飛車でも、昔の中飛車にしよう。まずはしっかり準備をして、それから戦いを始める。市川市にむかし松田茂役九段というプロ棋士がいてね。すごく強かった。その人が使っていた『ツノ銀中飛車』をやろう。大丈夫、これで勝てる」

その後復活して、行徳のエースとして仲間たちに良い刺激を与えてくれました。でも、時々表情に影がある印象だった。プレッシャーは拭い去れなかったのでしょう。中学に入ったのを機に、将棋からすっかり去ってゆきました。低学年の最初の大会で私が余計なことをしなければもっと長く将棋を楽しんでくれただろうか。あるいはあの日々がその後の彼の人生にとり何か有意義なものになるか。答えはないままです。せめて「楽しいこともあったな」とずっと後にでも思ってくれたなら少し救われる気はします。

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