これは苦い思い出。

おとなしめだけど熱心で6年生で3級くらいまでがんばってくれた男の子がありました。最後の年にテーブルマーク杯(当時はまだJT杯こども大会)に教室のみんなと一緒に参加した。最後のプロ棋戦JT杯決勝壇上対局にすっごく感動して母親に言った言葉が
「お母さんボク、プロ棋士になりたい!」

今では将棋界のニュースも多く、活躍している棋士たちが小学校の頃にどうだったかというのは一般の人々も何となく知っています。しかし10年前はそうではなかった。その道が開けるかどうか小学生か中学生の前半で結論が出る世界があるなんて、想像できない。

プロ棋士になるにはどうしたらいいのでしょうか?・・・という質問をお母さんから受けて、説明するのに骨が折れたんですよね〜 女親は息子が可愛い。わが子が初めて目を輝かせ抱いた夢を、何とかしてあげたい。
当然「相当難しいですが可能性ゼロとはいえないのでプロの先生のところへ行ってください」と伝えましたが、中学では入りたい部活もありそれは考えていないと。お手上げですが、でも当時の一般認識としてそんなものです。こうなってましてああなってましてと私が言えばいう程お母さんは釈然としなさが募っていった。

その後も時々繰り返し思い出しては「どうすればよかったかなぁ」と自問自答しました。結論は出ずですが、そのうちに将棋ブームがやって来て情報も行き渡りその答えが必要はなくなった。

実はトラウマになりその後の一時期、センスよさそうな子が「プロ棋士になりたい」と言うとビビるようになった。親御さんにもどれくらいの年齢でどれくらいの棋力がないといけないかクドクド言うようになってしまったのですが、それもマズかったと思います。プレッシャーを与えるより将棋を楽しんでもらったほうがいい。苦い思い出として残すのはよくない。

で、上記の子はどうしたかというと
「将棋の相手をしてあげることだけはできます」
ということで、中学に入って暫く練習相手をしていました。それもマイセンだったという(笑)。マスターにお願いして。音が立たないように布版にしてやりました。
「8時までは居るから、部活終わったらおいで」
2〜3か月くらいだったか、息せき切って部活の後にやって来ていましたが、次第に自然消滅してゆきました。

晩鐘