新型コロナは、人々の衛生意識の違い・・・それは生き方の違いにもつながるのですが、それを残酷なまでに露呈させてしまいました。

「過剰な自粛は弊害のほうが大きい。リスクをとりながら経済や教育を進めるべき」
と考える人もあれば、
「新型コロナは恐るべきウィルス。警戒を緩めるべきではない」
と考える人もあるでしょう。

具体的に休校のケースでは、
「ひとりの無症状陽性で休校にしてはきりがない。マイナスのほうが大きい」
という保護者もあれば、
「休校期間はたった3日でいいのか?生徒の検査範囲ももっと広げるべきだ」
という保護者もあるでしょう。

ビフォア・コロナの時代には共存できていた両者ですが、もはや互いの納得の上で生活を共にすることは出来ない。どちらかを犠牲にする形で社会を、学校を、運営するしかない。不幸なことです。

肌感覚ですがたぶん大半の親子のみなさんは、マスコミが騒ぐことがなくなれば次第に自然体に・・・つまりビフォア・コロナの振舞いに戻ってゆくでしょう。公園などの状況から、そう感じます。確固としたポリシーがある訳ではなく、世の中の雰囲気で行動様式を決める。

新型コロナで恐怖を煽れるうちはマスコミは煽るでしょう。そのほうが稼げるから。でもどこかの時点で賞味期限は切れる。逆にスポーツや音楽、飲食店や観光業の復活劇のほうが視聴率がとれるようになればそちらに流れる。すると今度は、マスコミの煽りで恐怖に洗脳されてしまった人々が置き去りになるだろう。

ワクチンが出来ても、新型コロナウィルスが無くなる訳ではない。そしてワクチンや治療薬があってもインフルエンザですら毎年多くの人々が無くなる。新型コロナウィルスは残り続けるだろうし、命を落とす人々も出続けるだろう。ワクチンが普及して「これで大丈夫だね」なんてとんでもない。恐怖を心底植え付けられてしまった人々にとり、もはや安住の地はない。そんなこと無かったように人々が振舞う世の中で、どうやって生きて行けばよいのか。

その2は嘆きだけになりすみません。

公園