(追記:この投稿をアップした後に、状況が変わっております。こちらを合わせてお読みください)
これを発信するのは、やりきれない気持ちです。
尚、誰から依頼された訳でもありません。私が、やむを得ないと判断しただけです。
市議会議員選挙が14日に告示され21日に投開票ですが、一昨年と昨年の市長選の際に一定の存在感を示した「新市川」がその後どうなったのか。「あれよかったじゃないか。政策は一番しっかりしてたのに」と、続けて当ブログをフォローしてくださっている方は聞きたくなると思います。
私としてはあの時集まっていたメンバーの中で、政治家あるいは政治家にならんとする人がリーダーシップを発揮し新市川をつくり上げるべきという考えでした。私のようなうるさがたが居ないほうが必然的にそうなるので、早くから「統一地方選完全ノータッチ宣言」をし、一切絡まないようにしてきています。
然るべき時期に然るべき人から、たとえ残念な状態にあっても「現時点ではこうなっている」という説明がほしかったのですが、投票直前の現在まだそのようなものがありません。従い、情報をほとんど持たない立場ではありますが、当ブログをフォローしてくださっている方向けに、私から見えている風景を描きます。
まず、新市川の存在意義のはずであったことを簡単におさらいします。
このところ問題提起した給食のお米と水を例にとります。市政で国政政党の力が強いと;
「保護者にだまって福島米を導入するなんてできない。水は、政府与党の方針通り民間委託を見据えてゆく」
「福島米導入はけっこうなこと。市の判断でやっていい。水は、民間委託なんてとんでもない」
どちらかを選択しないといけないです。
「給食のお米は従来通り千葉県産。福島農産品販売協力は別の形でやろう。水は、公に担ってもらうべく県に強くプレッシャーをかけていこう」
という、普通に考えてそれを願う人がイチバン多いであろう選択ができない。
実際には政策はもっとずっと多岐に渡っており、どう選択すれば市川市にとりベストミックスになるのか、国政政党の対立軸に左右されることなく提案してゆく。それが出来る地域政策集団。
自民党の坂下茂樹候補の下につく形で迎えた2度目の選挙の後ですね。敗れはしたものの「新市川」は2度の選挙でかなりプロモーションされており、政策的にも4万2千人弱の有権者が支持したと考えれば、捨てたものではなかった。次は市議会に議員を送り込むことを考えるべき。
「高橋さん市議選に出てくださいよ」
というのが、選挙後の私の開口一番でした。現職の引退がほとんどなさそうな上に立憲民主党が浮動票を吸い上げるだろう選挙で、あなた以外に誰が確実に当選できますかと。また、そうでないとその後の団体運営ですね。高橋さんと議員との力関係。どうしても権力の座にいる議員のほうが発言力が強くなってゆくだろうが、高橋亮平さんを中心とした新市川に期待していた人々がどう思うか。
しかしこれは、市議を目指し高橋亮平氏を支援していた人々にとりぎょっとすることです。なぜなら、新市川を支持する人々は高橋さんが出馬すれば高橋さんに投票するから。
新市川の立ち位置も、再考が必要でした。
自公との協力路線を踏襲し今後もやってゆくのか。あるいは原点に戻り国政政党との協力はいったん白紙に戻すのか。意見は割れていた。
「政策を実現するためには現実的に自公との協力が不可欠。そうでなければ『イイことを言っているだけ』になり、政策は絵に描いた餅にしか過ぎなくなる」
「組織票なく戦った最初の選挙で、自公だけは嫌だと考える層が相当数、高橋亮平を支持してくれたはず。初心に戻った姿を見せない限り支持は取り戻せない」
ただでさえ悲鳴と怒号飛び交う悪夢の不出馬宣言の記憶冷めやらぬ中、この混沌をひとつの方向性にまとめるには、さらにどれだけの人々の感情の消耗や人間関係の消滅を経なければならならぬか。そんな状況でした。
「その一番キツイところを背負って何とかするのが政治家じゃないか」
が私の主張ですが、いっぽうで
「そういった場を人に押し付けてウマく立ち回るのが政治家である」
とも言えます。否定しません。現実的には後者。で、私がダラダラ関わっているとクサイところが回ってくるのでノータッチ宣言をして距離をおきました。
クサイところ・・・具体的に続けます。
まずは、高橋亮平さんを市長にするのか、それにこだわらず市議会に会派を設立する一歩をまずは目指すのか。前者だと、すぐ4年後ということなら自公との協力路線が現実的。なぜなら、現在が野党統一で選ばれた市長だから。そして、反自公の支援者とは完全にお別れになります。その幕を引かないといけない。
そして、いずれの場合でも高橋亮平さんに市議選に出てもらうかどうか。私が居たら、
「あなたは何を求めているのですか?議員になりたいだけですか?市川市民の暮らしがよくなることではないのですか?あなたが市議になるより高橋さんがなったほうが市民の力になるのではないのですか?ならば、せっかく高橋さんが市議選に出られる立場なのですから、自らは引いて高橋さんに出馬を要請するのがあなたの目的にかなうのではないですか?」
というのを、市議を目指して一生懸命やってきた仲間たちに言わざるを得なかったでしょう。そして、今の今までいい友達だった人々との関係を失う。
「まぁ、まぁまぁ、まぁまぁまぁ」
ということでそういった辺りを通過できたとして。
高橋さんは出ずに市議団の編成を目指すことになったとして、
「金いくら持ってますか?事務所はいつどこに開設しますか?遅くありませんか?チラシのエリア全戸配布は何回やりますか?それで足りますか?」
みたいなことを誰かが言わないとイケナイ。本気で無名の新人たちで議席を獲りにゆくなら。そして、
「何とか時間つくって公認の連中と現場回ってください」
と高橋さんを追い立てる必要がある。忙しかろうが家庭ぶっ壊れようが何だうが。「私はこの人を支持します」と街頭で選挙期間中に高橋さんが言ったくらいでは伝わらないのが、市長選で明らかになっている。
まっぴらゴメンです。
「政治家を目指す連中で、責任もってやってくれよ」
と、思いました。
結論として、まとまらなかったんだなと見えます。当ブログを読み期待をしてくれた人々に、申し訳ない気持ちです。
市議を目指していた人々は今回、それぞれ立場を違えての挑戦となっています。「新市川の政策そのものには共鳴したが、議員にならなければ何もできない」と言われれば、そうかもしれません。実は言葉を失うような出来事も起きているのですが、新市川に直接関連しないことについては最後までノータッチを貫きたいと思います。
ノータッチに出来ないことが、ひとつだけ発生してしまいました。
かみはら昌志さんという候補者のポスターに、次の文言と写真が掲載されています。
「このかみはらさんという人が、新市川を背負って立つ人と理解してよいのか?」
当ブログを継続してフォローいただいている方は当然そう思うはずですから、私は答えないといけない。上原さんに一本とられた心境です。
高橋亮平さん本人は、公設掲示板に貼り出されるまで、これが使われることをご存知なかったようです。そして、政治家としてはありえないと。
ただ、市長選の際によく手伝ってくれた立場上、そして新市川をどうするのか曖昧なままここまで引きずってしまった以上、強く抗議はしづらいでしょうね。
さて、辛いなぁ。
上原さん評を高橋さんに求められたとき、
「高橋さんが市長なり市政の中枢に入ったならば、高橋チルドレンとしてはよい素材だったと思う。しかし、無から道を切り開いて行く政治団体のリーダーとしては、弱いと思う」
と答えました。もちろんそれを踏まえ、何が何でも上原さんを育てるか、もぅ自分で市議選出ちゃうか、お任せしたかったのですが。その後の展開は、外からは見えなかったです。
従い「新市川を背負う人か」については、否です。新市川は現在、形として存在しません。
ただし、です。上原さんが新市川100の政策に共鳴していたのは事実です。それを実現してくれる力がありそうかどうかについては、読者の皆様のご判断に委ねます。
整理すると、
「無断で人の写真を自分の選挙ポスターに使用するような人はその時点でダメ」
「こうするしかなかったんだろう。それより、100の政策はよかった。あれを実現してくれる人かどうかもっと知りたい」
いずれか。ご判断お任せいたします。
これを発信するのは、やりきれない気持ちです。
尚、誰から依頼された訳でもありません。私が、やむを得ないと判断しただけです。
市議会議員選挙が14日に告示され21日に投開票ですが、一昨年と昨年の市長選の際に一定の存在感を示した「新市川」がその後どうなったのか。「あれよかったじゃないか。政策は一番しっかりしてたのに」と、続けて当ブログをフォローしてくださっている方は聞きたくなると思います。
私としてはあの時集まっていたメンバーの中で、政治家あるいは政治家にならんとする人がリーダーシップを発揮し新市川をつくり上げるべきという考えでした。私のようなうるさがたが居ないほうが必然的にそうなるので、早くから「統一地方選完全ノータッチ宣言」をし、一切絡まないようにしてきています。
然るべき時期に然るべき人から、たとえ残念な状態にあっても「現時点ではこうなっている」という説明がほしかったのですが、投票直前の現在まだそのようなものがありません。従い、情報をほとんど持たない立場ではありますが、当ブログをフォローしてくださっている方向けに、私から見えている風景を描きます。
まず、新市川の存在意義のはずであったことを簡単におさらいします。
このところ問題提起した給食のお米と水を例にとります。市政で国政政党の力が強いと;
「保護者にだまって福島米を導入するなんてできない。水は、政府与党の方針通り民間委託を見据えてゆく」
「福島米導入はけっこうなこと。市の判断でやっていい。水は、民間委託なんてとんでもない」
どちらかを選択しないといけないです。
「給食のお米は従来通り千葉県産。福島農産品販売協力は別の形でやろう。水は、公に担ってもらうべく県に強くプレッシャーをかけていこう」
という、普通に考えてそれを願う人がイチバン多いであろう選択ができない。
実際には政策はもっとずっと多岐に渡っており、どう選択すれば市川市にとりベストミックスになるのか、国政政党の対立軸に左右されることなく提案してゆく。それが出来る地域政策集団。
自民党の坂下茂樹候補の下につく形で迎えた2度目の選挙の後ですね。敗れはしたものの「新市川」は2度の選挙でかなりプロモーションされており、政策的にも4万2千人弱の有権者が支持したと考えれば、捨てたものではなかった。次は市議会に議員を送り込むことを考えるべき。
「高橋さん市議選に出てくださいよ」
というのが、選挙後の私の開口一番でした。現職の引退がほとんどなさそうな上に立憲民主党が浮動票を吸い上げるだろう選挙で、あなた以外に誰が確実に当選できますかと。また、そうでないとその後の団体運営ですね。高橋さんと議員との力関係。どうしても権力の座にいる議員のほうが発言力が強くなってゆくだろうが、高橋亮平さんを中心とした新市川に期待していた人々がどう思うか。
しかしこれは、市議を目指し高橋亮平氏を支援していた人々にとりぎょっとすることです。なぜなら、新市川を支持する人々は高橋さんが出馬すれば高橋さんに投票するから。
新市川の立ち位置も、再考が必要でした。
自公との協力路線を踏襲し今後もやってゆくのか。あるいは原点に戻り国政政党との協力はいったん白紙に戻すのか。意見は割れていた。
「政策を実現するためには現実的に自公との協力が不可欠。そうでなければ『イイことを言っているだけ』になり、政策は絵に描いた餅にしか過ぎなくなる」
「組織票なく戦った最初の選挙で、自公だけは嫌だと考える層が相当数、高橋亮平を支持してくれたはず。初心に戻った姿を見せない限り支持は取り戻せない」
ただでさえ悲鳴と怒号飛び交う悪夢の不出馬宣言の記憶冷めやらぬ中、この混沌をひとつの方向性にまとめるには、さらにどれだけの人々の感情の消耗や人間関係の消滅を経なければならならぬか。そんな状況でした。
「その一番キツイところを背負って何とかするのが政治家じゃないか」
が私の主張ですが、いっぽうで
「そういった場を人に押し付けてウマく立ち回るのが政治家である」
とも言えます。否定しません。現実的には後者。で、私がダラダラ関わっているとクサイところが回ってくるのでノータッチ宣言をして距離をおきました。
クサイところ・・・具体的に続けます。
まずは、高橋亮平さんを市長にするのか、それにこだわらず市議会に会派を設立する一歩をまずは目指すのか。前者だと、すぐ4年後ということなら自公との協力路線が現実的。なぜなら、現在が野党統一で選ばれた市長だから。そして、反自公の支援者とは完全にお別れになります。その幕を引かないといけない。
そして、いずれの場合でも高橋亮平さんに市議選に出てもらうかどうか。私が居たら、
「あなたは何を求めているのですか?議員になりたいだけですか?市川市民の暮らしがよくなることではないのですか?あなたが市議になるより高橋さんがなったほうが市民の力になるのではないのですか?ならば、せっかく高橋さんが市議選に出られる立場なのですから、自らは引いて高橋さんに出馬を要請するのがあなたの目的にかなうのではないですか?」
というのを、市議を目指して一生懸命やってきた仲間たちに言わざるを得なかったでしょう。そして、今の今までいい友達だった人々との関係を失う。
「まぁ、まぁまぁ、まぁまぁまぁ」
ということでそういった辺りを通過できたとして。
高橋さんは出ずに市議団の編成を目指すことになったとして、
「金いくら持ってますか?事務所はいつどこに開設しますか?遅くありませんか?チラシのエリア全戸配布は何回やりますか?それで足りますか?」
みたいなことを誰かが言わないとイケナイ。本気で無名の新人たちで議席を獲りにゆくなら。そして、
「何とか時間つくって公認の連中と現場回ってください」
と高橋さんを追い立てる必要がある。忙しかろうが家庭ぶっ壊れようが何だうが。「私はこの人を支持します」と街頭で選挙期間中に高橋さんが言ったくらいでは伝わらないのが、市長選で明らかになっている。
まっぴらゴメンです。
「政治家を目指す連中で、責任もってやってくれよ」
と、思いました。
結論として、まとまらなかったんだなと見えます。当ブログを読み期待をしてくれた人々に、申し訳ない気持ちです。
市議を目指していた人々は今回、それぞれ立場を違えての挑戦となっています。「新市川の政策そのものには共鳴したが、議員にならなければ何もできない」と言われれば、そうかもしれません。実は言葉を失うような出来事も起きているのですが、新市川に直接関連しないことについては最後までノータッチを貫きたいと思います。
ノータッチに出来ないことが、ひとつだけ発生してしまいました。
かみはら昌志さんという候補者のポスターに、次の文言と写真が掲載されています。
「このかみはらさんという人が、新市川を背負って立つ人と理解してよいのか?」
当ブログを継続してフォローいただいている方は当然そう思うはずですから、私は答えないといけない。上原さんに一本とられた心境です。
高橋亮平さん本人は、公設掲示板に貼り出されるまで、これが使われることをご存知なかったようです。そして、政治家としてはありえないと。
ただ、市長選の際によく手伝ってくれた立場上、そして新市川をどうするのか曖昧なままここまで引きずってしまった以上、強く抗議はしづらいでしょうね。
さて、辛いなぁ。
上原さん評を高橋さんに求められたとき、
「高橋さんが市長なり市政の中枢に入ったならば、高橋チルドレンとしてはよい素材だったと思う。しかし、無から道を切り開いて行く政治団体のリーダーとしては、弱いと思う」
と答えました。もちろんそれを踏まえ、何が何でも上原さんを育てるか、もぅ自分で市議選出ちゃうか、お任せしたかったのですが。その後の展開は、外からは見えなかったです。
従い「新市川を背負う人か」については、否です。新市川は現在、形として存在しません。
ただし、です。上原さんが新市川100の政策に共鳴していたのは事実です。それを実現してくれる力がありそうかどうかについては、読者の皆様のご判断に委ねます。
整理すると、
「無断で人の写真を自分の選挙ポスターに使用するような人はその時点でダメ」
「こうするしかなかったんだろう。それより、100の政策はよかった。あれを実現してくれる人かどうかもっと知りたい」
いずれか。ご判断お任せいたします。
ポスターの件、話し合いあったでしょうね。今頃こういうことをしているようじゃ、頼りない人たちという判断もうけて然るべきです。
この辺りも考慮の上、ご判断ください。