「向こうに蕎麦屋があるんだ。一緒に行こう。あんた、昼はまだだろう」
「いやぁ話も済んだし、私はこれで」
「いいんだって。行こうじゃないか」
そんな会話をして、会議後に市川駅近くの蕎麦屋にその人と二人で入ったのは昨年の8月。

11月の市川市民将棋大会へ向けての愛好会連盟の事務局会議を兼ねた総会は、例年8月上旬の土曜日の午前に行われます。そこから3か月後に向け動き出す。私は午前中は行徳公民館の将棋教室のため、それを終えた後に車で真っ直ぐ市川へ向かいました。
寺下会長以下ずらりテーブルを囲んで事務局のみなさんが私に聞きたかったのはもちろん、小学生大会の進捗状況。つまり市民大会から6級以下の部、すなわち実質「子供の部」の区分をなくすことが出来るかどうか。私は駅前将棋の親子たちの顔を思い浮かべながら「実施されます」と答えました。ただ「存在意義のある大会にしなければ意味がなく、それが何かは改めて問いたい」とも。その話は、ここではよいとして。

頑固に驕るからと言われ、そんなときの注文は悩む。あまり高いものはたのみにくいし、安いのも相手の好意を無下にしている感じがする。海老天蕎麦をオーダーしました。

えび天そば


80歳は超えているであろうその人の体の中は癌があちらこちらに転移していて、どれくらいもつかというところらしい。将棋の練習会に通うことと年に一度の市民大会の運営は、生きることそのものになっているのだろう。
「寺下さん(女流棋士/市川市将棋愛好会連盟会長)と市民大会を立ち上げたのが25年前。その時の寺下さんが丁度今のあんたくらいの歳だったよ」
そんな話がポツポツ始まりました。

一般企業の定年と年金支給年齢の引き上りは、ボランティアによる地域事業の運営を厳しいものにしている。市川市民将棋大会も御多分に洩れず。従い子供部門が立ち上がり、市川における将棋文化充実を子供部門が下支えしてくれたらというイメージでいる様子です。

「寺下さんが25年やってきた。次の25年を、あんたやってくれ」
蕎麦の味は覚えていないのですが、絞り出すようなその声とこちらを指さした表情は、いまだに頭に焼き付いています。

参ったなぁというのが正直なところ。そりゃ寺下先生は女流棋士だから将棋に生きるのが必然だけれど、自分は普通の通勤人で別の人種だしボランティアも限度ってものがある。今回はやるが、悪いけど、この状態を長期続けるつもりはない。そう思いましたが、言葉には出しませんでした。まるで遺言のように聞こえて。言葉を返すような場面ではないなと。

「花火大会でもうすぐ交通規制になるね」
「そうですね。車で来てるので、そろそろ」
市川市民納涼花火大会へ行くのであろう浴衣姿の人々が街に現れ始めていました。