(「早すぎて、乗り遅れる」からのつづき)

このような駄文にお付き合いいただき、ありがとうございます。そろそろこのシリーズをまとめます。

なぜこの話を始めたかといえば、将棋の負担を増やすことが簡単ではないということをご理解いただくためでした。ここまでご紹介したような活動を私はやってきた人間であり、ここ数年小休止の状態にあったものの、それを終えたわけではありません。もし万策尽きたと悟ったなら、都会へ出てきた目的を失う訳ですから、同じ音楽や将棋を趣味で続けるにしても、九州の田舎へ帰り年老いた母の面倒を見ながらというのが道理でしょう。

将棋は基本的に、ひとりの保護者としての活動の延長。息子が将棋を始めて私も再開して、行徳に将棋教室がなかったので同好会をつくった。息子は卒業したのですが、その間、将棋に触れてくれた子たちがすこぶる優秀な若者に育ってゆくのを見てきました。感情に流されず冷静に最善の選択を模索し判断する習慣がつく。たぶん将棋を幼少期に学ぶことは相当いいです。行徳に1つ、子供たちが集まる同好会があるべきと考え、時間を限定して続けています。

選挙ボランティアへの参加も一連の活動とは別のものですが、とても勉強になりました。何より、政策を掲げ候補者を有権者に浸透させる作業と、コンセプトを打ち出し牽引役のアーティストを紹介してゆく作業と、同じではないだろうかという仮説に辿り着いた。無所属候補を担いで選挙戦を戦うくらいの勢いで臨んでみてもいい。これまでに経験してきたような反応・軋轢をうまく調整・緩和しつつ、選挙で得たノウハウを駆使して目標へ向かうべき時が来ていると自覚しています。

将棋大会については、その後もボランティア・NPO支援課と打ち合わせを行っており、書類の作成を進めています。実施可能な状況にはしておいて、今年半ばくらいにかけ結論を出してゆきたいと考えます。何卒ご理解のほど、よろしくお願いいたします。

(終)