(「暗礁」からのつづき)

動画配信に戻ります。

2009年だったと記憶しているのですが、YouTubeとJASRAC(日本著作権協会)が契約を結び、JASRAC管理曲をカバー演奏なら自由に配信できるようになりました。テレビの歌番組等の映像を流すのはダメ。あくまでカバー演奏。ですが、画期的な出来事でした。
このタイミングで、入ってこないとダメなんです(苦笑)。ダメだなぁ原。なまじ動画サイトなんてものを運営していたために、乗り遅れました。

最も成功しているのが、Goosehouseでしょうね。2010年頃から、とにかくカバー曲の動画をつくってアップしまくった。ヒット曲を検索すると彼らの映像が引っかかるようにする訳です。シンプルですが、いい作戦でした。どんどんファンがついていった。何人かで楽しく演奏するのがコツですね。「この中に自分も入りたいっ」と参加意識を喚起するような動画。
2年遅れでサンデーサティーズを立ち上げたのが2011年暮れ(全員行徳在住)。パフォーマンス力は、手前みそですが遜色ないと自負しています。同じ楽曲(WINDING ROAD)のGoosehouse(上)とサンデーサティーズ(下)を並べてみます。下のほうがいいという人が一定割合、居てもおかしくないと思う。
Goosehouse

Sundaysaty's


難しかったのは、まず第一に信用力。Goosehouseのメンバーは元々はSony Walkmanのプロモーション企画の下に集められたんですね。Sonyの看板がありますので、これを一所懸命やれば何とかなるんじゃないかという期待を持ったでしょう。若いメンバーが、遮二無二これを生活の中心にしてがんばったはず。そして、成果がついてきた。
いっぽうサンデーサティーズは、原(笑)。原が「キミたちの力ならこれ(カバー動画をひたすら配信して検索からのトラフィックをつくる)でファンを獲得できるはず」と言ってるだけ。どれほど効果があるものなのか、当時はよく理解してもらえなかったことでしょう。でも、とにかくやってみようと付き合ってくれた若者たちに心から感謝しています。

メンバーたちが20代中盤から後半に差し掛かり、それぞれの職場で責任ある立場になっていったことも進行を難しくしました。また、彼らには自分自身のソロ活動もありますので。あと2年早く仕掛けていれば。痛恨の極みです。
その後時代はどう流れたかといえば、今や「ユーチューバー」が若者のなりたい職業の上位に来るほどとなり、Goosehouseモデルは新規参入者にとっては障壁の高いものとなっています。今から同じモデルで勝ち抜けるのは、もはや難しい。

ただサンデーサティーズの強みはあって、それは「ゆず」のコアのファンたちからの絶大なる信頼。道を歩いていて「あっサンデーサティーズの」と声を掛けられるんですから相当なもの。バーチャルではない、リアルファンがついている。「ゆず村」から外に出てゆけるかどうかですね。復活戦を挑む選択肢は、可能性としては十分あります。

尚、サンデーサティーズを売ることそのものが目的ではなく、地域的な音楽の盛り上がりをつくってゆくため、それをけん引できる強いキャラが欲しかったということです。活動の趣旨がズレたのかと思われるかもしれませんので、念のため。

(つづく)