(「大河に浮かぶ小舟」からの続き)

いったん本題を離れます。

日記を書くとよいと昔はよく言われましたが、そうですね。書きながら、自分が同じ失敗を繰り返していることが解ってきます。

ソ連が崩壊して自由経済となり、市場がどうなっていくか誰にもわからないような時ですから、先に突っ込んで消耗する立場よりは、後から出てゆくほうを選択するのがいい。三井三菱といったところでないなら、商社に入るよりは大手メーカーのほうがよかったのでしょう。主観ではなく客観的に見てですが。
動画配信も同じでした。技術的に動画再生がどこに集約されていくのか、動画撮影や投稿のシステムがどうなってゆくのか全く見えない訳ですから、技術力を持っているか大きな投資ができる立場でないなら、何もしないのがいい。ひとりのおっさんフォークシンガーとして、歌い歩いて交友を広げておくくらいでよかった。
こんなことを言うと一緒に戦ってくれた仕事仲間やバンドの連中に申し訳ないですね。主観ではないんです。いい仕事やライブもあった。「あれはよかった」と思ってくれる人が居てその価値が確かなら、それでいい。そのように生きてきました。問題は、これからも同じでゆくのか。

例えば一連の選挙ボランティアへの参加にしても。原は政党には所属しないと繰り返しブログでも述べていまして、小池塾には参加しましたが都民ファーストの会へは入党しませんでした。それでおしまい。自分が決めている生き方通り。
ところが、熱心な塾の仲間たちを差し置いて籍だけ置いていたような現職元職の議員さんたちに公認や推薦が出ることが身の周りで起きたらたぶん怒る(笑)。で、あれば、残っとかないとイケナイ。非力な一党員としてでも、おかしいじゃないかと内側からプレッシャーをかけるべき。どこまでもまとわりつくイヤラシイ男にならないとダメ。
音楽業界でアーティストとして採用される背景と、政治家の公認推薦と、似たところがあります。すごい音楽や歌の才能が認められて事務所やレコード会社がつく子も居る。それは確か。ですが、多くは何らかの形で人間関係のつながりがある。なので私は、自分が縁のあった子たちを何とかしたいと思うなら、そしてそれが目標に近づくため必要と信ずるなら、カメラはそこそこにして別の動きをしなければならなかった。政治家の公認推薦もそうですね。新人でも誰もが認める実力をもって指名される人も少数居ますが基本、政界のネットワークの中に居ないといけない。

所属なしを貫くことで何を守ろうとしているかといえば、明らかに音楽や将棋で行っている地域活動ですね。自民党さんも共産党さんも、どなたでもお越しください。楽しくやりましょうと言える場を守る。であれば「それをどうしてゆくの?」。今まで通りなら、ゼンブ原の趣味の範囲で終わる。それで悪くはない。地域同好会の主催者のひとりとして小さくやってゆきます。そう言い切って、グダグダ言うのをやめる。そうするかどうかというところなのでしょう。