新聞報道による事件の様子。

『露出度の高い服を着たりアルコールを飲んだりする外国人がイスラムの普及を妨げていると(店の)スタッフに不満をぶつけた実行犯たち』

『人質には自らの宗教的な習慣について説明し、従業員には日常的に礼拝を行いコーランを学ぶよう求めたという』

実行犯は裕福な家庭で育った高学歴の若者たちだったといいます。イスラムの教えに忠実な国づくりを理想とし、彼らなりの純粋さをもって思考し今回の行動に至った。

『十字軍諸国の市民に対し、彼らの航空機がイスラム教徒を殺す限り、イスラム戦士の攻撃から逃れられないと知らしめた(ISの犯行声明)』

ISの作戦そのものへの関与の度合いは現状まだよくわかっていませんが、実行犯の若者たちも写真がISの旗をバックにしていることからしても、思想的な共鳴のようなものは少なくともあったと想像できます。

注目しなければならない重要なポイントは、日本が「十字軍諸国の一員」として何の違和感もなく見られてしまうようになってしまったこと。日本も、相手から見れば人殺しの国。

以前は、日本は米欧諸国とは明確に区別されていた。軍拡競争から距離を置き経済発展を遂げた聡明な国、そして得た富を貧しい国々に分配してくれる感謝すべき国と、尊敬されていた。また、ヒロシマ・ナガサキでアメリカにひどいことをされた国という同情すらあった。そしてこの対日感情は、日本人の安全に大いに寄与していた。

ODAに携わっていた者として、言い知れぬ喪失感を感じます。何十年かかかって官民一体で築き上げたものが、この数年でガラガラと崩れてしまった。そういう道を、知る知らずに関わらず我々は選択している。