一回戦、二回戦は惨敗だった。
アスカの初戦の相手が角の頭の守り方すら知らない超初心者だったのでさすがにこれには勝てたが、後は全員全敗である。

ひと息つこうと廊下に出た。源先生がS学園の生徒たちと話をしている。対局の内容のことなどを、そこに盤駒もないのに宙を見るようにして会話をしている。中山中に気づくと、よぅどうだと声をかけこちらに近づいてきた。
「いえ、全然ダメです。チーム2連敗中です」
「勝ったもん同士、負けたもん同士で当たるからな。だんだん勝ちやすくなってくる。勝ちに近づくために負けてると思って、ガンバレ」
「先生はS学園を教えてるんですか」
アスカが興味深げに聞いた。
「いや、そうじゃない。小学のときに行徳公民館に来てた生徒らが何人かS学園に入ってんのさ」
「頭いいから強いんでしょうね」
「確かに優勝候補だが、学校の勉強ができるかは将棋の強さに関係ない。偏差値40の学校の将棋部が、70の学校を倒して全国制覇したこともある」
「そうなんですか」
「それに」
少し間を置いて、
「連中も将棋では色々苦労したのさ。苦労して、あそこまでになってる」
と言った。自分たちは、まだまだこれからだ。気を引き締めた。

三回戦が始まった。
普通にやってたら勝てそうにない。リッシは、行徳公民館の魔女が使っていた戦法を思い出した。中飛車に振る。飛車先の歩を伸ばし、端歩を突いて角を上がった。飛車と角、2つの砲口が相手陣地の中央を睨む形がつくられている。
相手が振り飛車のとき、居飛車は玉を角の横に寄せる「船囲い」という囲いをつくるのが一般的だ。
リズミカルに駒組を進めていた相手は、いつもの習慣のように玉を左側に上がった。その瞬間、リッシは渾身の力を込めて5筋の歩を突き出し相手陣の城壁を叩いた。その歩に手を伸ばそうとした相手の顔色が変わる。この歩は、とることが出来ない。角が玉を睨んでいる。
『決まった』
リッシは心の中で叫んだ。

アスカは両肘を腿の上に乗せ、低い体勢で盤面を睨んでいる。
飛車を振り、低く構えた。右側へ玉をよせ、穴熊に入る。手数をかけ、玉を固め、ゆっくり飛車を上下あるいは左右に動かして相手の攻撃を待つ。攻めるときに、必ずスキが出来る。そんなものらしいことが解ってきた。なまじこちらから仕掛けてボロ雑巾になるより相手に仕掛けさせてチャンスを待つほうが、自分には合っている。
相手は玉の頭に銀が乗った銀冠という囲いだ。金銀の連結が強く、また場合によっては穴熊を上から押しつぶす攻撃的な狙いを秘めた囲いである。
桂が二段跳びしてきた。角を狙われている。逃げる。しかし、角が居なくなり要が外れた地点に飛車が走ってきた。マズい。が仕方ない。ここは被害を最小限に食い止めよう。端に桂を逃がす。飛車が、相手の指先でとぐろを巻いて竜に姿を変え、吠えるような高い駒音を立て侵入してきた。落ち着け。こいつに暴れられる前に、何か手段があるはずだ。攻めると、スキが出来る。睨んだ。光の筋。今、竜が侵入してきた小路が、真っ直ぐに開いている。そうだ、今なら角の助けを得て飛車が回り込める。よし。スッと飛車を横に動かし、竜にぶつける。相手がグッと身を乗り出した。二、三度頷く。そうきたかという仕草。やれているようだ。腹にズシリとしたものを感じた。竜に香を食われる。こちらも飛車を成り込むか。いや待て。攻めると、スキができる。攻める前に、引締めよう。いったん銀を引いた。イラッとした雰囲気。相手は焦れているのか。歩が突かれた。今まで銀冠の中で眠っていた角の砲口が開いた。こちらの角と向かい合っている。そうか、これが邪魔なんだな。しかし応じるしかない。角を交換し、こちらも竜をつくる。歩が突き出され、城壁を叩く。相手ばかりしていられない。香を拾った。瞬間、どうだとばかりに桂が飛んできた。五段目の左右の桂が、こちらの陣の中央に照準を合わせている。このままでは城壁を食い破られる。受けるか。しかし、防戦一方のまま穴熊の本丸にも火の手が回ってきそうだ。
リッシの相手が頭を下げるのが横目に見えた。勝ったのか。ならばオレが勝てれば。どうする。そうだ。攻めると、スキが出来る。どこかにないか。あそこだ。桂が跳ねた後の空間。相手玉の斜め上が開いている。
閃光が走った。香を食った場に居座っている竜と、一方向が開いた銀冠の中の玉。それをつなぐ光の筋。アスカは、角を握りしめ、それを打ち下ろした。
ほぼ同時に、相手も玉を守りつつ角を打ち下ろした。角には角。そんな王手飛車くらいで参らねえぞという気迫。しかし、顔を紅潮させている。アスカが竜をとる。その角が払われ相手の馬になる。どうだ。竜が馬になっただけだぞ。そんな演技。しかし、見えた。スキ。桂が居なくなった後の相手玉の尻に、スキがある。今とった持ち駒の飛車。打ち下ろす。両手で頭を抱える姿が目の前に見えた。

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※この物語はフィクションであり、実在の人物とはあまり関係ありません。