前稿からの流れで、もう少し。

中学校の教科書に、「プランテーション」という言葉が出てきます。帝国主義時代には、大国は武力を背景にアフリカ・アジアなどを植民地化し、農場の大規模経営の手法を持ち込み、安価な農産物の供給源としました。

現地で消費される農作物を細々と生産し自給自足に近い形で暮らしているところへ、貨幣経済と企業経営の手法が入ってくるとどうなるか。農民たちは、農場主に安い労働力で使われる使用人の立場になってしまいます。作った作物は自分のものではありません。食べたければお金を出して買わなければならない。お金がないと生きていくことが出来なくなってしまいます。

さらに、これら農作物は金融商品となって相場が展開されているという元も子もない状況がある。命をつなぐための大地の恵みとかいう価値は踏みつけられ、資本家たちのカードに過ぎなくなる。
農民たちはお金がないと暮らせなくなり、さらに賃金は安くたたかれ奴隷のようになる。貧困に陥り、飢える。テロの温床ができあがる。

このような状況は帝国主義と世界大戦の時代を経て終わったかといえば、そうではない。
「武力」が「経済圏の構築」とか「ODA」という建前にすりかわり、少しも変わらないことが行われています。
日本も、過ちを繰り返すかもしれない。

例えば今、アフリカのモザンビークで「プロサバンナ事業」という日本のODAが行われようとしています。
日本の700億円の円借款により広大な農地を開発し、大豆やトウモロコシなどの一大供給源をつくろうというもの。現地政府は大喜びですが(支配者にとっては多大な利権)、農民や日本のボランティア団体からは反対の声があがっています。

700億円なんて、いらない。ほんとうに現地の人々の暮らしに協力したいと思うなら、農家と市場をつなぐ一本の道路の整備であったり、ごく小規模の灌漑であったり、それでいい。植民地のようになり貧富の差が拡大し不幸な歴史が繰り返されるなら、その金額は倍返しではすまない。
でも、それではグローバル化し大きくなりすぎた日本企業にとってのウマみはない。

しかし、さらに大局的に見て。
中国が、アフリカの土地をガッサガッサと買いあさっている。新植民地主義に名乗りをあげている。
日本がやらなければ、中国がやるだけだろう。日本がやるより、さらにヒドいことになる。


自分の生き方を、考えています。

商社に残り、こういったことすべてを飲み込み、現地の人々や日本のボランティア団体の批判を一身に受けゲスの極みに陥りながらも、その中でも少しでもマシに、流れに逆らえないながらもなんとかマシに、と、もがき苦しむ人生もあったと思います。

あるいはキッパリと決別し、前稿のミンダナオの烏山さんのように、身を捨てて現地の人々と一緒に闘う人生もあったと思います。

中途半端に様子を見てしまった、自分。セコい人間です。
死に場所を探しているのかもしれない。ふと、そう思います。

コインでも、最後まであきらめてはいけませんね。
これで、勝つ。戦国時代の真田家のように、小国の戦い方をしてゆくつもりです。