興味ない人はスルーしてください。
ちょっと気になり、少し前から書いておきたいと思っていました。

ちゃんぽん食べたか」の記事がわりと検索で上位にヒットするようで、その後も何回か触れたので、さだまさしさんファンの方にちょこちょこお越しいただいているような感じがします。

ところが色々記事を見ると当ブログ主は吉田拓郎びいきであることが解るはずなので、「なにこの市川市民?」ですよね(笑)。そこで弁明。

「吉田拓郎はさだまさしが嫌い」というのは、やや誤解をもって理解されています。

例えば拓郎さんが食べ物に関してどういう感覚をしているかというと、お酒好きの辛党でして、クリームたっぷりの甘そうなケーキなんて見ると「うぇっ」となるそうです。普通は辛党でもケーキを見て「うぇっ」とまではならないものですが。
味覚に関してそうなので、本職の音楽については多分、もっと敏感にそう。「好き嫌い」というと印象悪いですが、要するに「合う合わない」が激しい。

拓郎さん曰く、さださんの「あのストリングス(弦楽器)の質感が、生理的に合わない」とのこと。
好きな人にはクラシカルで深みのある音楽でしょうが、彼にとっては何かヌメ〜ッとしたものに絡まれているような感触があるんだろうと思います。

一方で、はっきりと「才能は認めている」と言っています。「雨やどり」を聴いたときに、「あっコイツ才能ある」と思ったそうです。
文学的な名曲よりこの曲に才能を見ていることも、拓郎さんが大いにさださんを評価している証。どんなに素晴らしい作品を生み出せてもそれを伝える大衆性がないと成功できませんが、さださんにはそれがある。

つまり、こういうことです。
「スイーツというジャンルがあって、ケーキを幸せに食べている人々が居る。それをつくる腕のいいパテシエが居る。それは認める。でも、すまん、オレには食えねえ」

不幸なことに拓郎さんとは関係なく、さだまさし作品の方法論について徹底的に、これは違う、エンターテインメントはこうじゃないと否定的に批評する風潮が80年代から90年代にかけてありました。「拓郎のさだ嫌いはそれとは違う。認めるが合わないと言っているだけだ」という冷静な区分けがなされず、さださんファンにとっては単純に「さださんを悪く言う有名人筆頭格のひとり」ということになってしまいました。

最近は拓郎さんを「神」と仰ぐアルフィーの方々もさださんと親しく交流されていますし、生理的なものは仕方がないとして認識については、ご本人と周辺の方々どうしは誤解が解けているのだろうと思います。


ちなみに私は、お酒飲みますが甘いものも食べます(笑)。