1993年に、「機動警察パトレイバー 2 the Movie」という作品と出会いました。
当時「実際戦争に加担しているにも関わらず前線でないというだけで平和と勘違いしている日本」に悶々としていた私でしたが、このような作品が生み出され少なからずの人々に支持されるこの国のバランス感覚に希望を持ったものです。

東南アジアの国へPKOで日本から派遣された自衛隊のレイバー部隊が、ゲリラの襲撃を受けます。隊長の柘植行人は本部に発砲許可を求めますが許可されず、蜂の巣になり全滅。大切な部下たちを失った。
その後拓植行人は行方不明となります。そして自衛隊に残る拓植のシンパたちと伴に・・・

拓植の同志である荒川のセリフが印象的(一部省略)。

『この国のこの街の平和とは一体何だ?

かつての総力戦とその敗北、米軍の占領政策、ついこの間まで続いていた核抑止による冷戦とその代理戦争。そして今も世界の大半で繰り返されている内戦、民族衝突、武力紛争。そういった無数の戦争によって合成され支えられてきた、血塗れの経済的繁栄。それが俺達の平和の中身だ。

正当な代価をよその国の戦争で支払い、その事から目をそらし続ける不正義の平和。

あんたは知ってるはずだ。正義の戦争と不正義の平和の差はそう明瞭なものじゃない。平和という言葉が嘘つき達の正義になってから、俺達は俺達の平和を信じることができずにいるんだ。

戦争が平和を生むように、平和もまた戦争を生む。単に戦争でないというだけの消極的で空疎な平和は、いずれ実体としての戦争によって埋め合わされる。そう思ったことはないか?

その成果だけはしっかりと受け取っていながらモニターの向こうに戦争を押し込め、ここが戦線の単なる後方に過ぎないことを忘れる。いや、忘れた振りをし続ける。そんな欺瞞を続けていれば、いずれは大きな罰が下されると。』

その後、まさにアメリカでは2001年に911テロが発生。一般市民も自身が戦時下にあることを意識したのでした。「報復」を選択した彼らは誤ってイラクに矛先を向ける。そして日本もそれに追随。つまり現在の中東の混乱は日本にも責任がある。多くの人々が亡くなってゆく。一方日本ではさらに米国追随のための法整備が進められようとしている。

荒川のセリフをもうひとつ。
『戦争だって? そんなものはとっくに始まってるさ。問題なのはいかにけりをつけるか、それだけだ。』

前作から22年を経て、この5月1日に「THE NEXT GENERATION パトレイバー 首都決戦」が公開されます。
依然として見かけ平和な日本。未だ人々は戦時下という意識を持たぬまま。まさにこの時期にこの映画が日本中で上映される意味は大きい。拓植シンパの残党が、東京を舞台に仕掛けます。

前作のラストシーン。逮捕され、刑事になぜ自決しなかったと問われ、拓植が答える。
『もう少し、見ていたかったのかもしれんな。この街の、未来を』

拓植は日本を愛している。仮想クーデターも、最終的に革命政府を樹立するようなところまでは考えていなかっただろう。この国の人々に現実を直視してもらいたかった。そして、そこから新しく歩みだしてほしかった。
拓植行人こそが、押井守監督なのではないかな?そう感じます。