朝にブログを更新というのも、なんとなく新鮮(笑)。さすがに昨晩はパタッと寝てしまいました。

ニュースで「ODA」とか「人道支援」とか懐かしい単語が飛び交っていますので、それについてすこし。

「人道支援」という言葉がODA業界で広く使われだしたのは、ソ連崩壊後の1990年代。旧ソ連の僻地で中央政府からのお金がこなくなり、自治体の運営に支障がおきた。そんな中、日本に近いロシア極東地域の医療分野に日本から支援を行おうということになりました。老朽化した医療機器の更新がままならない病院へ機材を送るプロジェクト。「支援委員会」という外務省の外郭団体が設立され、そこが行うODAが「人道支援」と名付けられた。

ちなみに初期の2億円の入札に勝って、それが原の人道支援デビューでした。ODAに強いとされていた「○○商事」や「○○物産」など完全に出し抜いて、「誰だっ!」ということになり、気持ちよかった(笑)。輸送コストを見直したんですね。それまで業界の人々は機材のコストしか考えていなかったので、盲点でした。

その後支援地域は拡大され、中央アジアやコーカサスといった地域も「アジア」に含むと解釈され支援が行われました。

今朝の朝刊を賑わしている、ODAの「軍事転用」について、こんなことがありました。
当時の渡邉幸治モスクワ大使がコーカサス三国(グルジア・アルメニア・アゼルバイジャン)に信任状奉呈で巡る旅に民間企業随行員として同行したときのこと。
グルジアで迎えてくれたシュワルナゼ大統領が、
「携帯式の小型発電機を支援していただけないでしょうか」
と会議で日本代表団に依頼してきました。
「もうすぐ冬がきます。電気の供給が間に合っておらず、難民たちがこごえてしまいます」
その発言に、渡邉大使はウムとしばしの沈黙の後、
「軍事転用可能なものは、支援物資として提供できないことになっているんです」
つまり、発電機が軍に使用されうると見なされる。
結局、日本としては医療機器などを考えているとのことでした。

トビリシ(グルジアの首都)の街では痛ましい風景が見られ心が痛みました。
外国人旅行者がよく泊まる、現地の人たちの誇りでもあったイヴェリヤホテル。そこが難民収容所に姿を変えていた。
グルジアは石油・ガスパイプラインの地理的要所。国内に抱える民族紛争がきっかけとなり、米露の代理戦争に発展したのでした。

その少し後にグルジア向け人道支援の入札がいくつかあり、そのひとつに勝った。だけど、会社で評価されても、もぅ気持ちよくはなかった。
日本の国益にかなう誇り高き仕事と素直に思えたこともあったのだけど、大国の代理戦争により武器の市場がつくられ、無垢の人々の犠牲により人道支援の市場が生まれる。この悪魔のようなビジネスモデルに、日本・・・というかジブンが、まんまと乗っかっているのではないかと。揺れ動きました。

そうそう、大事なことがあります。「人道支援ナン億ドル」とかよく金額が言われますが、お金は現地にはいきません。「その金額分の物資」が送られます。というのが当時だったのですが、今も変わってないんじゃないかな。その入札の受注者はたいてい日本企業です。
だから、「人道支援のお金で、武器が買われるんじゃないか」という心配はない。ODAって、実は海外に進出している日本企業への公共事業の側面があります(笑)。それ言っちゃうとありがたみがなくなっちゃうんですけど。