前稿をご参照ください。

スピッツ90年代の作品は、インディーズ時代とその本質は変化していなかったのではないか? テーマは「死への恐怖とその闇の空白を埋めるためのセックス」だったのではないか・・・という仮定のもとに、名曲『楓』を読み解いてみました。

この曲は卒業式ソングとしても歌われ、多くの人々の心に大切な日々とともに光っているもの。
また、離別あるいは死別した恋人との思い出を胸に明日へ向かう人々の心に響くもの。
そして、文学的にも哲学的にも、さまざまの解釈がなされている素晴らしい楽曲です。

大変申し訳なく思います。もしお気を悪くされたなら、どうぞとるに足らないブログと見捨ててください。ひとつの仮定のもとに、これも成立するのではないかと考えました。どうぞご容赦ください。

『楓』

忘れはしないよ 時が流れても いたずらなやりとりや
心のトゲさえも 君が笑えばもう 小さく丸くなっていたこと

時が経っても忘れないよ。きみと抱き合ったときのことをね。
死への恐怖さえ きみが感じる姿を見ると自然に薄らいでいったよ。

かわるがわるのぞいた穴から 何を見てたかなぁ?
一人きりじゃ叶えられない 夢もあったけれど

色んな女のアソコに入れまくったが、ボクは何を考えていたんだろうな?
ただ死の恐怖を克服することだけは、女なしではできなかった。

さよなら 君の声を 抱いて歩いていく
ああ 僕のままで どこまで届くだろう

さよなら きみの吐息や喘ぎを 抱いて進んでゆくよ。
ボクはだらしのない男さ。こんなんでどこまで行けるんだろうな。

探していたのさ 君と会う日まで 今じゃ懐かしい言葉
ガラスの向こうには 水玉の雲が 散らかっていた あの日まで

死を恐れていた日々が懐かしいくらいさ。きみと抱き合うことで初めてそれに打ち勝つ術を知った。
すりガラスのビー玉で遊んでいたガキの時代を卒業できたんだ。
(※子供の頃ビー玉で遊ぶのが好きで、とりわけすりガラスのビー玉が好きだったという草野氏談がある)

風が吹いて飛ばされそうな 軽いタマシイで
他人と同じような幸せを 信じていたのに

風が吹けば飛んじまうように軽薄。それがボクの本質。
でも人並みの幸せは、望んじゃいたんだが。
(※「タマシイ」という言葉はより本質を表すものとして使っているという意の草野氏談がある)

これから 傷ついたり 誰か 傷つけても
ああ 僕のままで どこまで届くだろう

この先もきっと、誰かにフラれたりフッたりしてゆくんだろう。
何て薄っぺらな男なのかな。こんなんでどこまで行けるんだろう。

瞬きするほど長い季節が来て
呼び合う名前がこだまし始める 聴こえる?

新しい女と出会って、また抱き合うんだ。
互いに名前を呼び合う、恍惚の時間を欲している。それがボクなんだ。わかってくれるかい?

さよなら 君の声を 抱いて歩いていく
ああ 僕のままで どこまで届くだろう
ああ 君の声を 抱いて歩いていく
ああ 僕のままで どこまで届くだろう
ああ 君の声を・・・



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