エンタメ関連の記事は興ざめする方が多いのではと心配するのですが、意外と「楽しみにしてます」というお声もいただきますので、ポツポツ投稿してゆきます(笑)。

若松孝二監督の遺作、「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」を見る。

先日の投稿で『骨のあるフォークソングが聞こえてこない』と書きました。そういった歌たちが封印されてしまった時代背景を今一度確認しようと思ったのですが、いやぁ。重たい。

フォークやパンクロックが革命運動との結びつきを最も深めた60年代終盤〜70年代初めというのは、私はまだ幼少。物心ついた頃にも熱気は残ってはいて、それを感じられた最後の世代のように錯覚をしてはいるのですが、リアルタイムで事件を理解していた訳ではない。

若松作品に、ナイフを突きつけられた気がしました。「その歌はこんな歌だよ」

作中でまず「おやっ?」と思ったのが、赤軍派設立集会で議長が読み上げていた声明文。
「これって、頭脳警察(パンクロックのグループ)の歌じゃないか」
調べたら、PANTAさんが当時赤軍派の宣言に共感し、演奏をつけてレコーディングしたのですね。『世界革命戦争宣言』。そんなことも知らなかった。

訓練場の山小屋から、岡林信康さんの「友よ」合唱が聞こえてきました。ヤバイですね。総括と称して多くの仲間を処刑した連中にこんな風に熱い思いを込められてしまった歌を、どうにもしようがなくなった訳です。

この映画は、若松監督の「あの頃」への壮絶な総括ですね。間違っていたことを描ききり、きっちりケリをつけた。しかし、なぜだろう。あさま山荘以降、全否定されてしまったものの「全てが間違いではなかったのだ。今でも間違いではないのだ」という強いメッセージを感じます。

また、印象的なのが重信房子がパレスチナへ発つ直前に遠山美枝子と密会するバーで流れていた「さくらんぼの実る頃」。パリ・コミューンの「血の一週間」が背景にあると言われます。
ジブリ作品「紅の豚」でも挿入歌に使われました。この映画の主題歌「時には昔の話を」は、まるで「さくらんぼの実る頃」をわかりやすくフォークにして加藤登紀子さんの心の風景を描いた歌のように感じる。私も時々歌いますが、そんなに血塗られたイメージでのぞんだことはなかった。そして登紀子さんからも、若松監督と同じメッセージ。
『あの日のすべてが 空しいものだと それは誰にも言えない』

作品とは直接関係ないのですが、さだまさしさんの『檸檬』という歌も連想してしまいました。梶井基次郎さんの小説をモチーフにして御茶ノ水を舞台に青春の夕暮れ時を歌い込んだ歌という理解でいたのですが、学生運動の時代に御茶ノ水周辺が非常に激しい戦闘地区であったということがわかったので。
『君はスクランブル交差点斜めに
渡り乍ら不意に涙ぐんで
まるでこの町は青春達の
姥捨山みたいだという
ねェほらそこにもここにもかつて
使い棄てられた愛が落ちてる
時の流れという名の鳩が
舞い下りてそれをついばんでいる』
新しいイメージを持って、今後取り組んでみたいです。


ご心配される方がいらっしゃるとイケマセンので念のため。何度か繰り返し書きましたが、私は無宗教・無党派の人間です。ノンポリと言われればそれまでですが(笑)、ニュートラルな視点で物事を考えたいというのが心情です。