「降りませんでしたね」
夕方マイセンに寄ると、マスターがほっとした表情を見せた。天気予報では、今日は朝から雪かもしれなかった。
「よかったですね」
「フフッ」
相槌をうつと、くすっと笑った。気が張っていたところ思いもかけず平穏な日常だったので、可笑しかったのだろう。

行徳駅前の喫茶マイセンには、雪で東西線の電車が止まるとまさに雪崩のように人が押し寄せるのだ。ひとりで切り盛りしているマスターは、嵐のような忙しさになる。コーヒーや紅茶だけならまだしも、食べるお客さんが居るという。「時間がかかりますよ」と言っても、「待つ」と言われてしまう。職場近くのファーストフード店で朝食をとるのが日常の人々も多いだろう。雪をいいことに贅沢な時間を過ごそうかという気になるのも人情というものだ。
商売繁盛はいいことじゃないかと一見思われるのだが、何といっても常連さんで持っているお店。そんな日だけわっと押し寄せるお客さんも大事なお客さんには違いないのだが、長いお付き合いを大切にするマスターにとっては、どちらかといえば大変さのほうが上回る様子。

「そういえば、原さんのブログを見たって女の子が来ましたよ」
「それは嬉しい。載せた甲斐がありました」
「原さんを知ってるって」
「私の知ってる女の子って、誰だろう?」
「将棋の先生だって」
「いや、教室の子はみな小学生・・・あっ、それ生徒のお母さんですよ。行きましたって話、聞いたんだった」
「えっ、お母さん?」
目が点になったマスター。次の瞬間、ふたりで声を上げて笑った。参ったオレも歳をとったもんだというため息がまざっていた。

会計をすませて、階段を降りる。冷えた空気が体を包んだ。コートのファスナーを上まであげる。寒波は繰り返しやってくるだろう。白い一日が今年はなければよいが、そうはいかないかもしれない。ドン・キホーテから賑やかな音楽が流れていた。

雪の日