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以前から気になっていたこの映画のDVDを、Tsutaya行徳店でレンタルして鑑賞しました。
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呉清源氏(1914〜)は、「昭和以降で最強は?」と囲碁ファンに問えば多くの人がその名を上げる棋士だそうです(1983引退)。
真理を追究するストイックな姿勢と強さの秘訣は将棋にも通ずるところあるはずで、映画からそういうものを得てブログで紹介しようと思ったのですが・・・ いやいや、そんなナマ易しい映画ではなかったというか、ナマナマしい人間のドキュメンタリーが静寂の中に淡々と描かれた美しい作品でした。

瀬越憲作名誉九段に招かれ、1928年、14歳のときに中国より渡日。
革新的なスタイルで囲碁界に旋風を巻き起こすも、日中は対立し戦争へ突入。呉氏は両国の狭間で難しい立場に立たされつつ、囲碁の真理を追究するため日本に帰化します。

近代囲碁界の構築に尽力した瀬越名誉九段役の柄本明の演技が見事。戦火でいよいよ東京が危なくなってからも、広島に舞台を移しての本因坊戦の継続を並々ならぬ強い意志で貫き通します。棋士たるもの、例え戦乱の世にあっても碁を打たねばならぬという、鬼気迫る信念。
ところが呉清源は「真理の追究に専念したい」と、広島行きを拒否。本因坊戦については「私は碁を捨てるつもりです」とポツリ。「よくそんなことが言えたなっ!」と、突然に静寂を切り裂く瀬越の荒げた声。

この会話には興味深いものがありました。現代では、プロ棋士が棋戦を戦いながら技術革新をしてゆくことが「真理の追究」であることに違和感はありません。が、新聞社の後ろ盾で棋戦が創設されて間もないこの時代においては、その商業的なイベントが「真理の追究」であるのかどうかということは、必ずしも自然に一致するものではなかったのでしょう。

幼いころから道教を学んだ呉氏は、信仰心の熱い人でもありました。囲碁において良きライバルたちと真理を求めると同じコミュニティーを信仰においても求め、時として新興宗教に傾倒したりもしました。と、有名な璽宇の話を描くと思いきや、これが素敵なラブストーリーとなっていた。
璽宇から離れることができなかったのは、より呉氏の奥さんのほうであったようです。呉氏は、奥さんを気遣って璽宇に力を尽くしたのでした。地元実力者とのトラブルで追われ逃れる璽宇の一行を追いかけ奥さんと再開する場面は、感動的。「キミのことが心配だった」・・・この一言で、自殺まではかろうとした苦悩が何であったのかすべての謎が解けます。

映画の最後に、「私の人生は真理と囲碁 この2つしかない」と呉清源氏の言葉が映し出されます。
囲碁も信仰も恋愛も、すべてが一体となった精神世界が感じられました。すべてにおいてピュアで、そこがなんとも言えずチャーミング。それを過大な演出も起承転結もなく淡々とした経過で静かに描く手法が、よりリアルさを演出していました。

「タルコフスキーみたいだな」・・・と、監督の田壮壮という人に興味を持ちWEBで検索したところ、代表作として1993年の「青い凧」というのを見つけました。文化大革命に翻弄された両親を描いた・・・その映画の説明を読んで、「あっ!」と、記憶がよみがえった。93年頃、話題作というので何気に映画館に足を運びました。内容は詳細に覚えていませんが、ずっしりと重いものをもらって暫く考え込んでしまった感覚だけは残っています。そうか、あの監督さんか・・・

その後、当局に目をつけられて10年ほど活動を制限されてしまったとのことですね。

「青い凧」を、もう一度見てみたいという気持ちになりました。当局から制裁を加えられたことで「体制に挑む者」というレッテルを貼られてしまう人のようなのですが、そうではないのかもしれない。時代と、その中で生きた人間の真実の姿を描きたかった・・・ひたすらにそれだけだったのかもしれない。

そう多くの作品を撮れるわけではない境遇。思いを込めない作品を撮るはずがない。
そんな中で撮られた「呉清源 極みの棋譜」。

上述した、映画の最後の言葉を置き換えてみます。
「私の人生は真理と映画 この2つしかない」・・・呉清源氏の人生に、己の生き方を重ねて描いた作品でもあった・・・そんな田監督の心の風景も見えてきました。