Hara Blog

千葉県市川市の行徳でライブ活動を行っている、フォークシンガー原の日記です。公認将棋指導員として、子供たちの将棋の話題なども。

ローカルメディア

(「ソ連崩壊後のビジネスの現場」からのつづき)

旧ソ連地域との交易に従事されている皆様に、敬意を表します。極東地域の安定に大きく貢献されている。私も伴に歩めたらよかったのですが、自身のポジショニングがうまくゆきませんでした。現在は、海上貨物保険の引受業務で細々と生計を立てており、ほんの少し間接的にそれら国々との輸送をサポートさせていただいている立場です。

短いモスクワ在住期間中に、モスクワ内戦を経験しました。大統領と議長、二人の権力者による権力闘争。機関銃の乾いた音が悪魔の声のように響き、若い兵士たちの命が失われてゆく。「お前ら、二人でやれ」と感じたものの、権力者=利権の代表者であります。自分ではコントロールできないこともある。特に負ける側には。その後も、ガスパイプラインルートが絡む南部地域での紛争なども。大国の都合で小国の平和が荒らされ、そこに「人道支援」の名の下に日本企業の商売が生まれる葛藤がありました。

さて、業界を去り国内に仕事と生活の場を限定し、暫くして構想を描き行動を始めたのが、インターネットを利用したローカルメディアが出来ないかなということでした。2003年頃のこと。当時、時代の空気として、インターネットによりメディア革命が起きる期待が膨らんでいた(これも、今や兵どもが夢の跡ですが)。
コンテンツとして選んだのが、ロックやフォークのアマチュアたちの演奏。直接に「戦争とは」「平和について考えよう」みたいなことでは、抵抗が大きい。対象が限定される。もっと普通に暮らしている人に響くもの。普段は意識のない人も、時々はニュースを見て「これでいいのだろうか」と一瞬考えるはず。その程度でいい。例えば1時間のライブをすれば、ほとんどが日常的な内容の歌なのだけど1曲だけ「今も世界のどこかで戦争が起こっています」と一言添えてジョン・レノンの曲を演るとか。それ位で十分、上等。

その頃の自分に「5年でこう変わる。10年するとこうなってる」と色々教えてあげたいです。動画再生ソフト1つとっても視聴者からの声に対応するのが大変でした。WindowsのMedia Playerをベースにすると、Macの人が見れなかった。Quick Time再生用の別のページを設けるが、環境やバージョンの違いにより「視聴できない」との声が相次ぐ。
やがてHTML5やFLASH(YouTubeやニコ動)に集約されていく。その時点での再生条件をサイトに記して、その他の環境の人はゴメンナサイにして技術の進歩を待てばいい・・・なんてワカラナイですよね(笑)。それに、音楽やアーティスト系はMacユーザーが多かったし。

そのほかにも、様々な困難に出くわすことになりました。

(つづく)

2月17日(土)将棋教室の確認 場所は七中です

2月17日(土)将棋教室の確認です。

七中にて行われる、囲碁将棋オセロ教室に参加します。
※9時30分からです。10時からトーナメントなので、参加者は10時までに来てください。
※上履き持参してください。
(いったん間違って行徳公民館とアップしてしまいました。申し訳ございません。場所は七中です。ご注意ください)

今後の予定:

2月17日(土):9:30-11:30 七中にて行われる「囲碁・将棋・オセロ教室」に参加
2月24日(土):10-12時 行徳公民館第2和室

3月 3日(土):10-12時 行徳公民館第2和室
3月10日(土):10-12時 行徳公民館第2和室
3月17日(土):9:30-11:30 七中にて行われる「囲碁・将棋・オセロ教室」に参加
3月24日(土):10-12時 行徳公民館第2和室
3月31日(土):10-12時 行徳公民館第2和室

※上記すべて無料です。

ソ連崩壊後のビジネスの現場

(「アブない左翼活動家?」からのつづき)

1990年就職ですが、そのすぐ後に就職氷河期が訪れました。

職場はどのような状況であったかというと、後輩が入ってこない訳です。いちばん下のまま。
時を同じくして、事務機革命が起きていました。テレックスやタイプライターから、パソコンメールやワープロの時代へ。年齢が上の世代はついて行けません。勢い「原くん、これ打っといて」と上司たちの手書きの文書がバサバサと私の机に積まれました。自分の担当業務はほかにあり、それだけでも相当なボリューム。その上に雑務が来るので、日々終電に近い状態で会社の床で寝ることもしばしば。お手洗いで裸になって体を拭いていたら警備員さんに見つかったことがあります。「スイマセン、怪しい者ではありません」たって怪しいですよね。
さらに上司たちはみな、自分の下請けとして私を使いたがった。メーカーさんとの打ち合わせなどに同席させられ「じゃこの方針で、原くん見積もり作って」と言いおいて、自分は帰る。完全にパンクしているのですが、それでも「原くん、あれどうなってる?」「まだ出来ないの?」と平気で言ってくる。「仕事量を互いに調整してください」と何度訴えてもダメ。みな上や横にはモノを言わず、下にだけ言う。

仕事の内容も、惨憺たるものが多かった。体制崩壊後に有象無象のブローカーたちが暗躍した時代で、モスクワ支店経由で正体の知れない相手からの見積もり依頼がドカドカ舞い込みました。取捨選択すべきなんですが、モスクワ店はとにかく来た引き合いにはゼンブ東京から見積もりをとるのが仕事と思っているし、東京の人たちも何だかよくわからないけどとりあえず原にやらせとくかになる。
日本製の家電製品や通信・事務機器の引き合いが多かったのですが、その類は世の中にバッタ商品が数多く出回っているんです。メーカーさんが何かの折に二束三文で在庫処分したブツが市場に流れていて、正規ルートでは価格的に勝てない。次第に解ってきますので捨てたい案件いっぱいあるんですが、捨てさせてくれない。
メーカーさんたちも、そういうの解っているんですよね。投資が必要な販売拠点や在庫をつくる案件もやりましたが、開拓者たちの屍が積まれた後にある程度市場が成熟して商売ができるようになる。よほど資本力のある商社が会社戦略として取り組む案件でなければそこまでは持たないし、そうなればメーカーは自分で進出する。

一方で、自分の目的に合うと感じられた仕事もありました。人道支援などがそれ。旧ソ連の貧しい地方の病院に医療機器を提供するプロジェクトなどが、ODAの一環として行われました。お金の出所が日本政府なので、安心です。田舎の病院の保育器の中に生まれたばかりの赤ちゃんが寝ている姿を見て、この仕事やってよかったなという気につかの間なれたものです。
問題は入札に勝つことですが、私はODA業界の異端児でした。しきたりに従わず、本当に安い価格で勝負しようとする。メーカーさんたちはどの商社にも同じ価格で出すので(それにも色々ありますが)、まともにやったら上乗せ分マージンのガマン比べにしかならない。と、思われていたのですが、機材以外の部分、大陸各地への運送費などを業者さんたちと相談して切り詰めたりして、他社のODA業界の人たちを出し抜きました。当時、物流界にも、旧ソ連地域に特徴を出して一旗揚げようというサムライたちが居たんですよね。最終的には、兵どもが夢の跡。大手しか残らなかった。みなどこかで生きているだろうか。
私の手法はしかし、次々に模倣されました。最終的には、マージンを0にして突っ込んだ入札があった。メーカーさんに「落札しました」と報告に行った際、「おめでとうございます」と言われたのですが「実は・・・」という話で。落札後に値引き交渉。いや〜な空気でしたが、それでも何パーセントか落としてくれた。それが最後。
ODAの「業界の輪」に入り、シブとく生きる道もあったかもしれません。が、これは自分でなければ出来ない仕事なのか? 日本の支援物資を困っている人々に届けること自体は意味ある仕事だけど、オレがやらなくても誰かやるだろう。それに、自分は問題あるときにハッキリ手を挙げて言うタイプだから、流れ弾に当たりやすい。

「ここまでだな」
文字通り、ハラを切る覚悟を決めたのでした。

尚、私が業界を去ったすぐ後に、鈴木宗男議員が絡む一連のロシア関連汚職問題が世で騒がれました。ムネオハウス事件が一番有名ですが、国後島発電設備の案件では同業の三井物産からも逮捕者が出ています。私より若い人が捕まっている。一生懸命に仕事をしただけだと思うのですが。

(つづく)

アブない左翼活動家?

フェイスブックやブログのヘッダーの写真のおかげで「アブナイ左翼活動家かと最初思いました」と選挙戦の最中にボランティア仲間たちから言われました。笑ってしまったのですが、間違ってはいないかもしれません。

九州の片田舎から貧しい家に無理を言って東京へ出て来るのですから、大きな目標をブチ上げる必要がありました。目標というよりは、若いエネルギーの向け先と言うほうが正しいかもしれない。掲げたのは、平和。戦争が起こらない世をつくることに貢献したい。強烈に左的な動きですね。それに人生をブッ込もうという訳ですから。大学はロシヤ語学科を選択。ぜんぜん勉強せず、ついにロシア語は使い物にならなかったけれど。

米ソ冷戦の時代で代理戦争としての紛争が世界各地で行われていましたので、日本を巡りそのようなことが起きるかもしれないという空気は強くありました。親たちは戦争世代なのでリアルにそれを感じており、子供たちにも伝わった。我々が、戦争にリアリティを感じることができた最後の世代かもしれません。

ただ、政治により平和を維持するとは思わなかった。デモや政治集会、勉強会などにも、一昨年小池塾に参加するまでは一度として足を踏み入れたことがありません。
では何によってかというと、経済関係。ソ連との経済的結びつきを強く持つ。日本に手を出したら、失うもののほうがはるかに大きい状況を維持する。それも、もっともらしい理由なんですがきっと勉強が嫌だっただけ。外交官とか新聞社とか目指す連中はすごく勉強していた。バブル後期で民間企業への就職は難しくありませんでしたので、モスクワに支店を持つ商社のひとつに入社しました。

「ノンポリ」という言葉は最近はあまり使わないですね。ポリシーが無い人をそう呼んだのですが、はい、ノンポリです。何の思想もありません。結局は、ダメ学生がバブル後期の勢いだけで民間企業に入り働き始めたというだけのことでした。

(つづく)

サンデーサティーズ

妙典祭りに毎年出演しているサンデーサティーズは、実はある方面で名の知られた存在になっています。

若いメンバーたちが20代後半から30にさし掛かりそれぞれに職場の関係などで無理ができなくなった時期に動画作成やホームページがほぼ止まってしまったのですが。企画開始時に山口くんと堀木くんが好きな「ゆず」を演奏するとわりと反応がよかったこともあり、ゆずを幾つかYouTubeに載せてありました。更新していないにも関わらず人気が出て、今や日本中のコアのゆずファンには広く知られた存在です。ギターを弾く若い子に「本物のゆずよりサンデーサティーズが自分にとってのゆず」と言われる位に。

私は手伝えていないのですが、二人はゆずの地元、横浜の応援団から熱烈ラブコールを受け、とても忙しくしています。ライブ出演もさることながら、例えば結成20周年記念の植樹祭に「ゆずの代わりにサンデーサティーズを呼びました」と紹介されて、土にスコップを入れたりとか。



活動拠点が横浜になってしまっているのが難点ですが、本来はそこまで支持を得ているのであればそれを伸ばすべきなのでしょう。ゆずを昔応援していた人たちががんばってくれているのですが、その先が中々難しい。
ここも政治でしょうね。ゆずの出身地の岡村や路上ライブで腕を磨いた伊勢佐木町の辺りをライブのメッカとして、実際すでにそうなのですがより力強く、自治体主導で広告宣伝に力を入れ外へアピールする。特定のアーティストだけ売ることはできませんが、ゆず発祥の地、弾き語り愛好家の街としてブランディングする。その中で色んなキャラが輝いてくればいい。強力にそれを推進してくれる地方政治家でも居ればよいのだけれど。

横浜のことを調べてみたのですが、地方議員さんたち伝統的な政治家のカラーですね。ちょっと無理かもしれない。カルチャー面より、現実的に解決しなければならない地域の課題を優先されるでしょう。

「せっかくここまでやったのに」ということがそこら中に散らかっている気がする今日この頃。取り組んだことの方向性はわりと正しくそこそこ芽は出るのだが、それ以上手に負えなくなりほったらかしにしてゆく人生になっている。

君が去ったホームに残り

船橋で将棋教室を長年運営されていた萱間先生が、何年か前にふらりとマイセンライブを訪ねて来てくれたことがありました。ご存知の方は想像つくと思いますが、イイ感じで酔っ払って全身で喜びを表現しつつ歌ってゆかれました。

なごり雪をリクエストくださり、みなで合唱したのをよく覚えています。
亡くなられてからもうすぐ1年。楽しい思い出を忘れません。ありがとうございました。

2月10日(土)将棋教室の風景

2月10日(土)午前、行徳公民館第2和室にて行徳将棋クラブ活動。

七中、行徳小、南行徳小、新浜小、南新浜小、福栄小、妙典小、幸小、富美浜小、入船小、葛飾小、南篠崎小、鎌田小、などから25名。

教室風景


低学年の数が増えたため、スーさんはじめ保護者のお父さんたちが入ってくれて助かっています。お時間許す日はどうかよろしくお願いします。

文化を制度に落とし込む

改めて、昨年末の子供将棋大会の募集範囲に関するアンケートにご協力いただきました皆様、どうもありがとうございました。

以下あくまで実施すると仮定して。予め、念のため。

もちろん、出来ることならなるべく広く多くの子供たちに楽しんでもらいたいのですが、その後解ってきた状況として、市民将棋大会から一部を独立させるという側面があることと、市教育委員会から後援がいただけるかもしれない。

ならばその条件を最大限に生かして、市内の学校とのつながりをつくっていくのがこの将棋ブームを地域に根差した確実なものにすることに有効。例えば、週に1度のクラブ活動の時間に将棋を含むボードゲームを取り入れている小学校はたくさんあるようなので、そういった場で大会の案内をさせていただけませんかとお願いしてみるのもいい。もちろん水泳や陸上の市内大会のように学校が直接関わる行事ではないのだけれど、教育委員会や学校に認められた行事としてブランディングできるはず。

従い参加資格としては、この大会については、やはり市川市内の小学生ということになってしまうと思います。ご期待いただきました市外の皆様、申し訳ございません。
細かく見ると、市川市在住なのだけど他市や都内の私立小学校に通っているとか、あるいは市外在住なのだけど日出学園小(私立)に通っている子が考えられます。いずれもOKでしょうね。
「市川市在住もしくは市川市の小学校に通う小学生」

ブームを流行で終わらせないためには、既存の確固たる制度と結び付けてゆく必要がある。小学生将棋なら、学校との関わり。一昨年は四中、昨年は七中の生徒たちが部活をつくろうとがんばってくれたが、叶わなかった。今度は、これでやるかどうか。

「誰がそんな手間とるの?」
というところに、結局は戻ってくるのですが。しかし逆に、それくらいやらないのであれば、何もしないほうがマシというのが私の感覚です。

2月10日(土)将棋教室の確認

2月10日(土)将棋教室の確認です。

行徳公民館第2和室にて10〜12時に活動を行います。

今後の予定:

2月10日(土):10-12時 行徳公民館第2和室
2月17日(土):9:30-11:30 七中にて行われる「囲碁・将棋・オセロ教室」に参加
2月24日(土):10-12時 行徳公民館第2和室

3月 3日(土):10-12時 行徳公民館第2和室
3月10日(土):10-12時 行徳公民館第2和室
3月17日(土):9:30-11:30 七中にて行われる「囲碁・将棋・オセロ教室」に参加
3月24日(土):10-12時 行徳公民館第2和室
3月31日(土):10-12時 行徳公民館第2和室

※上記すべて無料です。

市長選とは関係ありません

ここらで一度、念のため。市長選の応援は私が個人として行っていることで、音楽や将棋の活動とは全く関係ありません。不安や警戒お抱きになる必要はございませんので、どうぞご心配なく。
ホントはもっと「自分はこう思う。だから誰にする」とかいう議論が其処ら中で行われるくらいでないといけないと思います。なので、自分から率先して発信しています。

身の周りに抱えた具体的な問題を陳情しようという気も、ありません。市長選についてはあくまで「保育・教育」の2点への期待。
夫婦共働きでも年収500万円に満たない家庭が主流になってくるでしょうから、まずは保育ですね。何らかの形で子供をあずけられること。また、所得が低いご家庭でも子供が二人三人居ても普通にコツコツ勉強して意欲があれば無理なく大学まで行ける社会の実現。自治体単独では難しいことは理解していますが、自治体がやれる限界を既成概念にとらわれず目指してほしい。
それだけはやっておいてあげないと、国がおかしくなる。しかし国全体なんて手に負えないので、自分の住んでいるところは何とかという訳です。

尚、その市長選ですが、再開票の結果、順位に変動がないことは確認されました。現在、選管から異議申立人へ異議に関する回答(開票作業時に立会人の見えない場所へ一部の票が移されたことや他候補への票の混入など)待ちとなっています。不備があったことを選管が認め改善策が提示されるか、それに対し異議申立人が納得するかどうか。まずは選管の回答ですね。報道では4月再選挙と予測されていますが、近日中に回答が出て異議申立人が納得するものであればそうなるのではないでしょうか。
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千葉県市川市の行徳将棋クラブを運営している原伸一です。ブログの更新情報をお届けしてゆきます。
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フォークシンガー原
(原 伸一)

1967年生。千葉県市川市の南部、行徳・妙典でアコースティックライブの主催等の活動を行っています。また、行徳公民館で小中学生の将棋教室を開いています。

ライブ情報は以下サイトにて。

http://gyotoku.livedoor.biz
活動場所
喫茶「マイセン」(フォーク好きの集まり・例会です): 行徳駅より徒歩0分。改札を背にすぐ左、山下書店の2F。Tel:047-357-4039
会費500円+ドリンク代450円〜 

市川妙典SATY(路上ライブ): 妙典駅より徒歩3分。無料。お店の詳細は以下をクリックしてご覧ください。
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GSG5(行徳将棋ガールズ)
GSG(Gyotoku Shogi Girls)は、行徳将棋クラブの女子のこと。音楽も大好きで、2013年女子アマ団体戦で歌を歌ってベストパフォーマンス賞をいただきました。
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